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鈴木忠志見たり・聴いたり

8月25日 ごあいさつ

 SCOTサマー・シーズンの幕が開いた。今年は、15カ国の人が参加している。8カ国の人が、演出や俳優として舞台づくりに関わり、9カ国からは、昨年の夏からしばらくぶりに再開した、私の訓練を学びに来ている。今年から始めた事業、アジア演出家フェスティバルには、中国、韓国、台湾、日本の若い演劇人の作品が上演される。
 トップバッターは「トゥーランドット」。この作品はまさに利賀産、昨年の8月に2週間の訓練を受講した俳優たちから、イタリア、ブラジル、リトアニア、シンガポール、中国の6人を選抜し、今年の3月に約1カ月、この8月に2週間の稽古を重ねて出来上がったものである。演出はイタリアで活躍しているマティア・セバスティアン、20年前から私の訓練を学びに来ているだけではなく、利賀の劇場でもたびたび自分の作品を発表している。6カ国語が飛び交う珍しい舞台だが、人間に大切なのは愛か金かという直截な主題を、ブレヒト風児童劇に楽しくまとめ上げている。
 利賀村での活動も今年で37年目、その間に一度も休止したことがない。それも観客の皆様の支持と応援があってのことだが、この間の日本の社会情勢や国際環境の変化を思うと、我ながら不思議というか驚きを覚える。これは東京での話ではない。人口1000人にも満たない過疎村でのことである。実際のところこの年月に、日本の総理大臣は22人も交代しているのである。
 1976年に劇団SCOTが東京を離れ、この利賀村での活動を始めたのには、明確な目標があった。集団の結束力を要に、優れた舞台芸術作品を創造し、世界に日本の文化的な蓄積の豊かさを示すこと。またそれだけではなく、日本社会の閉鎖性と一極集中、その象徴とも言うべき東京人の堕落を批判するためだった。この所期の目的は、殆ど果たされつつあるというのが、正直な実感である。日本の山奥の一過疎地が、これだけ世界の人々の注目を集め、年間を通じて絶えることなく活動を持続できていること、例えば今春5月には、中国唯一の国立の舞台芸術大学が、30人の先生と学生を3週間にわたって、この利賀村に滞在させ、訓練を学ばせていることなどは、この利賀村の施設と活動実績が一日本の文化財産としてではなく、世界共有の文化財産になりつつあることを示している。
 世界は驚くべき速度で変化しつつある。とくにアジア諸国の変貌はすさまじい。それに連れて、日本の国際社会での在り方は、曖昧なものになりつつある。その理由には政治の貧困、あるいは経済の低迷などもあろうが、文化活動に携わってきた私の実感からすれば、生まれて死ぬまでの人生の送り方、しかもその人生が虚飾ではなく、自分に自尊心を与えてくれるような生き方のモデルを、日本人が見失ってしまったことにあると思えてならない。むろん人生のモデルは一つであるはずもないし、あるべきでもない。しかし、こう在ることは素晴らしい、というような生き方、それは手軽に手にすることが難しくとも、それを持たない社会や国家になってしまったことに起因しているのではないかと感じる。未来への夢を描くことのできない国家の人々ほど、寂しく惨めなものはない。
 我々日本人には、この先どのような生き方が夢として残されているのか、もし残されていないとすれば、どうやってその夢を新しく創り出すべきなのか、そしてどのように世界の人たちに貢献するのか、劇団SCOTはこういう志のもとに、この利賀村を拠点に、さらに活動を続けて行きたいと願っている。
 地域としては存続の難しい過疎地である。此処での活動をさらに発展させ、持続させて行くためには予測のつかない苦難も待ち受けているかとも思うが、こういう生き方に声援を送ってくれる人たちが、たとえ少しでも居てくれたら、マダ、マダ、最後までガンバッテ、行けるような気もしている。