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鈴木忠志見たり・聴いたり

9月28日 憧れの顛末

 近ごろ、昔の思い出がよく蘇える。年をとったせいであろうか。
 何故、そんなに意地の悪いことを言うのか。イイジャナイカ、美人で。女優は美人がイチバン。もちろん、美人でイイ! 俺もキライデハナイ! しかし、あんな言葉をあんな喋り方で口にするのはヘン、若い美人が。あれが婆さんならヘタでも納得する。お前のヨーロッパへの<憧れ>というものは恐ろしい、盲目にされている。
 すると相手はこう言った。<偏見>というものも恐ろしい、殊に女に対する偏見は。私が女性に対する悪意か差別感を持っているかのように言う。それも、美しい女性に裏切られた、私の過去の経験がなせる業ではないかと推量しているらしい。こうなると私もシツコクならざるをえない。当時は日本の現代劇の主流を形成した新劇、そのうちの有名劇団が上演するチェーホフの「三人姉妹」を初めて見てのことである。
 「三人姉妹」は100年以上も前に書かれている。有名な幕切れの三人姉妹の台詞、誰がこんな言葉にしみじみとしたり、励まされてきたのか、舞台に接した限りでは納得がいかなかった。田舎に取り残された、主人公の三人娘は雪が降りそうな空の下、白樺を背景に寄り添い、こんなことを言う。長い台詞なので、末尾だけを書き抜く。
 まず、結婚しながら浮気に失敗した次女が言う。生きていかなければ、生きていかなければねえ。すると独身の末娘がそれを受けて、やがて時が来れば、どうしてこんなことがあるのか、なんのためにこんな苦しみがあるのか、みんなわかるのよ。あたし働くわ、働くわ、と言う。さらに、それを引き継いで同じく独身で頭痛もちの長女が、もう少ししたら、なんのためにわたしたちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。それがわかったら、それがわかったらね。これがこの戯曲の幕切れのクライマックスである。
 私が接した舞台では、この言葉は実にロマンチック、悲しそうな感情を込めた台詞として、女優が観客席に歌うように語っていた。涙を流しているのではと思えるぐらい。その時、何とも知れず私を襲った違和感。シラケタのである。否、気味が悪いと言った方が良いか。チェーホフの言葉にではない、女優たちの演技にである。これは他人に向かって言うべきではなく、静かにしみじみと自分に言ってほしい。それを観客に向かって正面から堂々と言っている。ハズカシイ!
 感情移入という言葉がある。対象の人物や聞いている言葉に自分の感情を同化し、同じような気分を生きようとする心理的欲求。それを観客に要求しているような演技だったのである。バカラシイ! 美人のダメナ女のこんな言葉に誰が共感するのか、私には不思議だった。むろん、その舞台で三人姉妹を演じた俳優の力量にもよるのかもしれないが、演技の前提になっている演出の感覚は、この三人の存在を批判的にではなく、肯定的かつ同情的に描こうとしているのは明瞭。
 そこで出てきたのが、私の感想。これは女に対する誤解、現実を無視した上空飛翔的妄想ではないのか。これでは、チェーホフはこの現実を見る日本人の甘さに呆れるのではないか、私は友人に言った。しかし友人は強硬、イヤ、この言葉は若い美人女優が言うからウットリと聞いていられる。私は幕切れにブスの三人姉妹がいるなんて見たくない、日本の田舎娘ではないんだから。あの三人姉妹は若い頃はモスクワで育った、上流階級の娘だからね。相手もシツコイ。これこそ差別的偏見、日本の田舎にだって美人はいる。
 まあ、この気持ちは分からない訳ではない。ヨーロッパの後進国とはいえ、文化的には世界の先端を切っていた当時のロシア、劇作家は世界に冠たる文学者チェーホフ。ヨーロッパに憧れ、白人への劣等感に捕らわれている連中である。すれ違うのは仕方がない。
 私はまた言う。この戯曲のこの台詞は、人生に草臥れた女の言葉、美人でも良いけどその面影も消えつつある婆さん、あるいはブスの女優が言うべき言葉だと思う。そうしたら、虚ろに響くか、恨みがましく聞こえて私も納得。歌い上げるように正面きって言うべきものではない。そして私は、この会話を終わりにするつもりで言った。
 私は恋に失敗し、田舎に残らざるをえない三人姉妹だから、不器量な女が良いはずだと言っているわけではない。そんな差別はしていない。こういう言葉を、美人が寄り添って言うと、聞いている人に説得力がある、この感覚が気に入らないんだよ。これはヨーロッパへの憧れが創りだす錯覚、彼の地の女性は美しいだろう、そしてそれを演ずる自分たちも美人だと思っている。こういう人たちが、孤独で悲しい人生を自覚的に生きようとしている観客を励ます。皆で人生を頑張ろうとね。それがあの舞台の背後にある思想だが、それはチェーホフには関係のない、日本人の自分勝手な思い込み。チェーホフをチェーホフたらしめているユーモア、それに則った批判的な視野、精神というものがマルデナイ。
 新劇ファンの友人はそれでも頑固だった。日本人がようやく外国の戯曲を、外国人の身ごなしで楽しく演じられるようになったんだから、大進歩だよ、と楽天的。
 この会話はずいぶんと昔だから、正確ではないかもしれないが、すれ違いの本質はこんなものだったと思う。この違いが私をして、新劇とは違う新しい考え方による演劇を、この日本に出現させなければ、と決心させたキッカケのひとつだった。懐かしい出発点の思い出である。