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鈴木忠志見たり・聴いたり

10月29日 挑戦

 いよいよ年末恒例の吉祥寺シアター公演の稽古に入る。今年は最新作「シンデレラ」と数年前に静岡県舞台芸術センターで初演した、三島由紀夫の「サド侯爵夫人」の2作品を上演するつもりでいた。両作品とも今までに、東京地域の公演はしていない。  
 この2作品の内容は対照的だが、物語の展開の中心を担うのは両方とも西洋の貴族一家、しかも親子の諍いのそれである。もっとも一方は、破産寸前の貧乏男爵家の娘たち、他方は名家に嫁いだ、金持ちの母親を持つ侯爵家夫人が主役という違いがある。それだけではなく、そこで語られる戯曲の言葉も対照的、現代的なユーモアに満ちた言葉による会話と、今や誰も書いたり口にしないような、いささか古めかしい比喩に彩られた文学的な対話が、それぞれの作品の特徴を形作っている。むろん、私がすでに演出した実際の舞台も、リアリズム的な喜劇風の演技とギリシャ悲劇を扱うときに私が採用する語り調の演技といった具合に、全く異なったものにしている。
 だからしばらく前までは、この戯曲作品の内容のみならず、演出・演技が極端なコントラストを示す舞台を見てもらうのも、SCOTという劇団の幅の広さと力量を、観客の方々に理解してもらえるのではないかと思い、これらの舞台を日替わりで公演するつもりになっていたのである。しかし、だんだんと稽古が近づくにつれて、私固有の職業病とでも言うべき根性が疼きだしたのである。一度やってしまったことを、ただ再現するなんてツマラナイ、それに稽古場でもタイクツスル。
 吉祥寺シアターというのは、私にとってはそれほど慣れ親しんだ空間ではない。だからこそこの劇場では、そこに似合った新しい演出でやるべきだ、これまでの演出を変更してでもそれに挑戦すべき、こういう想いというか野心というべきものが、稽古初めになったら、ムズムズと湧き起こってしまったのである。
 この気持ちを、私の舞台をよく見ている何人かの人たちに話したら、やはり反対された。昔の舞台は素晴らしかった、もう一度アレを見たいよ。もちろん、私も愛着がない訳ではない。しかし、私は決心してしまった。昔の演出は野球投手や相撲の力士の技に譬えれば、直球や四つ相撲のもの。それは私の得意技だと、世間の人は見なしているが、その舞台は、静岡県舞台芸術センターや利賀村の劇場で見ていただいているのだから、今回はカーブやドロップを多用した変化球や、すくい投げや蹴手繰りのような動きの素早い、相手の意表を突くような技でいくかと決心したのである。
 その結果が、奇妙なタイトルの「シンデレラからサド侯爵夫人へ」の舞台になった。この二つの戯曲を、同じ舞台で次々に稽古するところを、見せようということになったのである。シンデレラの基調音楽はフランスのシャンソン歌手アダモのもの、装置は洋風である。サド侯爵夫人のそれは、日本の流行歌手美空ひばりのもの、装置は戯曲の指定とは違い、フランス風ではなく和洋折衷風である。これが一幕の内に共存する。
 この冒険、果たして上手くまとまるものかどうか、正直のところ、私も不安を抱えながらの稽古の毎日である。しかし、不安との戦いが無いところに、未来は無い。未来などとは、イイトシヲシテ、大袈裟なと思われる方もいるだろうが、この不安との戦いがなければいつの間にか、ボケテ、ユルンダ老人になるのが、私の職業のツライトコロなのである。
 吉祥寺の公演を見た観客が、コレハ、デキソコナイダ! ボケテイル! という感想を持ったとしたら、私の引退の日も近づいたと、その準備をしなければならないかもしれない。