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鈴木忠志見たり・聴いたり

11月22日 昭和時代

 第二次大戦終了後の翌年、東京タイムズという新聞が創刊された。今はない。そこに私のブログの標題と同じようなコラムがあったようである。「見たり聞いたりためしたり」というのだが、昭和25年<1950年>、そこに次のような文章が掲載された。
 やり切れなくなった。消えてなくなれとどなりたくなった。吐きたくなった。いったいあれは何なのだ。怪物・バケモノのたぐいだ。<中略>ボクの小さい時に九段の祭りの熊娘、クモ男、ろくろ首などというものがあった。<中略>あれとどれだけの違いがあるというのだ。
 筆者は詩人のサトウハチロー。何とも激しい生理的な反応だが、この反応を引き起こした対象が、子供の頃の美空ひばりだというから驚く。それだけではなく、これが新聞の記事だということにも。憎悪を煽るような人間蔑視の差別的な言辞である。
 他人に対するこういう横柄で自己肯定的な攻撃性、これには相手が誰であろうと敵意を感じ、非難されている方に連帯したくなるから不思議。これは期せずして週刊朝日が示した、橋下徹大阪市長に対する、品位のない醜い攻撃感情を思い出させる。週刊朝日の見出しには、「奴の本性」という言葉が大きく踊っており、あろうことか過去の出自までも暴く。ジツニ、イヤナ感じ。
 私も過去に、これと似たような経験をしている。美空ひばりへの非難ほどひどくはないが、鶴屋南北や泉鏡花やベケットの作品の断片を繋ぎ合わせて構成した舞台を発表した時には、週刊誌でゲテモノ呼ばわりされ、先輩の演劇人たちからも激しく叩かれた。むろん私の試みを理解し、支持してくれた人たちもいた。若い時だったから少数の人たちだとはいえ、積極的な評価を与えてくれる人がいると、かえって戦闘的になれる。私の性分によるのかも知れないが、支持者というものは有り難いものだった。
 美空ひばりも橋下徹も、ともかくそれなりの支持者を前提にしてデビューしている。そこには彼女や彼に、人生を生きるときの慰めや励まし、それを与えて欲しいという人間の期待があるだろう。そういう人たちへの敬意と配慮は、少なくとも発言の前提になければならない。人権侵害までして中傷罵倒するぐらいなら、まずその支持者たちの心情をも想定して、攻撃否定するような一戦を交えるのが、マズマズの筋であると私は思う。ただ当人個人を差別し、排除しようとするような論を展開するのは邪な道である。
 今回の私の舞台、「シンデレラからサド侯爵夫人へ」の後半、三島由紀夫のテクストを使用している部分では、美空ひばりの音楽を多用してみた。そしてあらためて、彼女の歌手としての力量に感心するのである。そこにはただ歌が上手いとか、声が良いとかという範疇を越えた、流行歌に人生のすべてを賭けて生きた、精神の迫力が響いている。たしかに怪物・バケモノである。しかし、それは表現者への最高の誉め言葉に転化している。その彼女の気迫が、同じくバケモノの一種、三島由紀夫が自らの存在根拠を確認しようとした知的な理屈に奥行きをもたせ、現代日本人の緩んだ感受性との距離を、際立たせる役割をしてくれている。
 両人とも若くして死んだが、同じ昭和時代を生きた私にとっては、人生の退屈を紛らしてくれる興味シンシンの存在だった。むろん困った人たちだという思いもあってのことだが、自分の欲望の在りかをはっきりとさせ、その欲望に殉ずるように、「精神のやくざ」をイキガッテ生きてみせた日本的見本のように思え、親しみを感じてはいたのである。故意に孤立と狂気を熱演した三島由紀夫、大衆の欲望と心情にどっぷりと身を浸し、そのシンボルとして殉死する覚悟をした美空ひばり、この二人が共存し相和す舞台を創ること、それが可能かどうかが、今回の演出作業の眼目であった。
 結果としては、今まで何処にもなかったような舞台が出来上がったと思う。だから観客の中には拒絶反応や、その不思議さに不可解な感じを覚える方もいるかもしれないが、昭和を代表する二人の人物の本質は、そのことによって逆に、舞台からより良く感受できるようになったのではないかと感じている。と言うより、昭和という激動の時代とその渦中を生きた人たちの、独特な感受性や心構えのあり方の一端が、浮き彫りになったと言った方がよいかもしれない。