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鈴木忠志見たり・聴いたり

2月9日 故郷

 兎が道路を走って行きましたよ。作業中に劇団員の一人が言う。走り去った方角へ行ってみたが、もう姿は見えない。昨年の秋、久しぶりに宿舎の傍らに、白兎の子供を見かける。昔は冬に兎をよく見かけた。自動車のヘッドライトの中を、必死に駆けつづける兎、道路の両脇が除雪された雪の壁になっているので、その壁が途切れる所まで必死に一直線に走りつづける。雪国の山の中でなくては、出会えない光景である。
 利賀村に劇団の本拠を移した頃にはよく、村の青年団が中心になって兎狩りをしていた。山裾から音を立てて、頂上の方へ兎を追いやり捕まえる。いつだったか親しい青年団の一人が、兎の肉をゴボウなどの野菜と一緒に煮た料理を、我が家に届けてくれた。今年は二匹しか捕まらなかった、少なくてスイマセン、と大きなお椀を一つ手渡される。よく見ると肉片に毛が生えている。これは何だときくと、皮のむき方がヘタダナアーと呟いている。捕まえたその場で誰かが殺し、調理したのをすぐに持って来たらしい。たいした収穫もないのに、私にとっては珍しいだろうとの心くばり、勇気を出して一挙に口に流し込み、飲み込んだのを思い出す。
 兎が少なくなったせいか、青年団に元気と暇が無くなったのか、団員の人数が減ってしまったのか、最近では兎狩りをしたという話は聞かない。白兎を捕らえて観察してみたいとも思うのだが、どうして捕まえたものやら思案がつかない。
 最近の自然保護協会の調査によると、全日本的に里山から日本産ともいうべき動物、キツネ、テン、イタチなどがいなくなっているという。彼らの餌の一つである野兎も少なくなっているようである。その一方で、ハクビシンやアライグマの外来種、イノシシやサルのように人間にも危害を加えることのある強い動物は増えているらしい。この調査からすれば、利賀村はまだ別天地、キツネもテンもイタチもしばしば見かける。
 もうずいぶんと昔のことだが、養護老人施設のお婆さんたちが、楽しそうに合唱している光景をテレビで見た。曲は「故郷」、「こきょう」ではなく「ふるさと」である。今はどうか知らないが、大正の初期から尋常小学校唱歌として教えられた。むろん、私もである。兎は飼ったことはあっても、実際に山で捕まえたことはない。しかし現在まで、この曲も一番の歌詞も忘れることはなかった。兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川、夢は今もめぐりて、忘れがたき故郷。
 ところが最近になって、私はこの歌の内容を少し間違って理解していたことが分かった。故郷を離れた人たちが、子供の頃の生活を懐かしんで歌う曲ではなかったのである。一番の歌詞しか覚えていなかったことと、都会の老人施設で、お婆さんたちによって歌われている光景が鮮烈だったから、そう思い込んでしまったようなのである。二番、三番の歌詞を読んで、私の思い違いを発見した。
 如何にいます父母、恙なしや友がき、雨に風につけても、思いいずる故郷、これが二番、こころざしをはたして、いつの日にか帰らん、山はあおき故郷、水は清き故郷、これが三番であった。
 故郷の山村に父母を残して都会に生活する、青少年の歌だと言ってよいもので、老人の望郷のそれではなかった。しかも、青少年といっても、志を持つ男を励ます種類のものである。<故郷に錦を飾る>などという言葉もあるが、それに通じる時代精神のもの、都会に出るのも故郷のため、貧しい故郷があるが故だった。そしてそのことが、心身ともにシンドカッタ日本人が、多くいたことも確かな頃のものなのである。私も精神的には、貧しい故郷を脱出した一人だったとは思っている。
 そのことを踏まえながらも、物質的に豊かになった現在の日本人には、あえて言うべきだと感じる。現在の日本の山村に、古来からの動物を見かけなくなるばかりではなく、日本人という動物も居なくなり、いずれは<故郷>という言葉も、聞いたり目にすることもなくなるのは残念ではないかと。
 私がこの利賀村にこだわるのも、この言葉を消滅させたくないための、ささやかな努力のひとつだと思っている。