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鈴木忠志見たり・聴いたり

2月25日 シェーンブルン

 オーストリア=ハンガリー帝国を統治した、ハプスブルク家の女帝マリア・テレジアは言った。<スペクタクルが必要です、さもなければ誰も、こんな広い宮殿に住んではいられません>この一言の故に、ウィーンのシェーンブルン宮殿の一角に、小さいが洒落たバロック劇場ができあがったという。18世紀のことである。 
 私もどこかで言ってみたいような啖呵だが、日本の演劇界は、<劇場が必要だ、さもなければ、こんな文化後進国の日本には住んでいられない>と言い続けたら、国や自治体に騙され、実に無味乾燥な劇場とは名ばかりの多目的ホール、内実は無目的ホールを建てられ、そこで活動せざるをえなくなった。ましてや経済成長一点張りの今の日本、ヘタな啖呵を切っても、誰も相手にしてくれるはずもない。山奥の廃屋を相手にしてでも、幻想の宮殿劇場だと思い込むほかは術はないのである。事実そんな妄想を頼りに、今日まで活動してきたところもある。
 このハプスブルク家の宮殿は、ナポレオンが住んだり、アメリカの大統領ケネディとソ連の首相フルシチョフの会談場所になったりと、世界史的な場でも脚光を浴びてきた。宮廷劇場も、ハイドンやモーツァルトが自作の曲の指揮をしたり、マリー・アントワネットがダンスを披露したりしているらしい。現在では国家行事や、オーストリアが生んだ世界的な演出家ラインハルトを記念して創設された演劇学校が、付属施設なみにしばしば使用しているようである。
 私がこの宮廷劇場で公演したのは1992年、演目は「ジュリエット-ロミオを待ちつつ」である。ウィーンに到着してすぐ、劇場に案内される。さすが見事な小劇場、客席は収容人員300人ぐらい、床やカーテンや椅子などは赤色、壁面は金色、天井には絵が描かれ、豪勢なシャンデリアがそれらを照らしている。二階正面に行くと、マリア・テレジアはこの席に座る、だれそれはこの席と説明され、劇団員は由緒あるこの劇場に感心したのか、しばし沈黙して前方のステージを眺めていた。その時、一人の若い劇団員が呟いたのである。ケッタイナ劇場ヤナー。私は少し困った。
 正直と言えば正直だが、もう少し敬意とか感動の感情があっても良いのではないか。相手は誇らしげに案内してくれているのである。それに大阪弁はなんとなくナマナマシイ。時と場所によっては、ヒンガ、ワルク聞こえる。開口一番の日本語が、これではマズイ。ヒョットシタラ、日本語が分かるかもしれない。私は傍らに立っていた主催者のみならず、劇団員全員に聞こえるように大声で言った。スバラシイ!
 実は私も、スコシ、ケッタイ、だとは思っていたのである。むろん私の場合のケッタイは必ずしも否定性を意味するわけではない。私は自分の創る舞台作品も、少しケッタイだと認めている。若い劇団員が、なぜステージを見てケッタイだと感じたか、舞台上の天井には照明用の鉄骨のブリッジがドッシリと露出し、舞台奥の壁面はコンクリートの壁がそそり立っていたからである。客席からの生な明かりだけで見ると、客席の雰囲気とのあまりの違いに、空間全体としてはグロテスク、たしかに異和感はある。若い劇団員は、最初からこのように建設されたと勘違いしたらしい。
 しかし実際に、公演の準備をしてみて驚く。さすが視覚的な要素を重視した演出家として名を売ったラインハルト、彼を称えて設立された学校の付属施設である。照明器具を吊る位置、音響の具合など、実によく配慮されている。それまで抱いていた、劇場に対する芸術上の危惧はすぐ吹き飛んだ。私の舞台作品をここで公演することを勧めた、プロデューサーへの信頼と感謝の念が改めて湧き、贅沢な気分でウィーンを離れたのを思い出す。
 これだけの歴史と由緒を誇る建造物を、単なる観光遺産とするのではなく、目的を明確にして現代に活かす。そして自国民だけが使うのではなく、外国人にも使わせ、その背後に横たわる自国の歴史に親しく接するように仕向ける。これは日本ではなかなか真似のできない、外交的な文化政策だと感じる。近ごろの日本の行政は、観光立国などという言葉を頻繁に使っている。観光とは施設や自然に接することだけを、楽しむわけではない。施設や自然の背後にある歴史や、そこで繰り広げられた人間の物語りに興味や関心が湧くから、訪れて見たいと思うのである。
 はたして日本に、世界の人たちが現在でも興味をもつような、歴史と物語りを提供できる建造物がどれくらいあるのか、また現代にも活かしうるような、歴史的な遺産とそのための方策があるのかどうか、あるいはそうした公共施設を、これから造りだせるのかどうか。文化や観光を口にするなら、日本の行政はこういうことを、未来のために真剣に考慮しておくべきだと感じる。