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鈴木忠志見たり・聴いたり

3月21日 突然のカナリア

 1986年、スペインのマドリッドで世界演劇祭が開かれた。スウェーデン王立劇場の芸術総監督、イングマール・ベルイマン、フランスの太陽劇団の主宰者で演出家、アリアーヌ・ムヌーシュキン、ポーランドのクリコット2の主宰者で演出家、タデウシュ・カントール、イギリス出身でフランスで活躍していた演出家、ピーター・ブルックなどが一緒だった。いずれもその一派の教祖として著名、当時のヨーロッパでの先端的演劇祭の常連メンバーである。この時、私はエウリピデス原作のギリシャ悲劇「トロイアの女」で参加した。ベルイマンは日本では映画監督として知られているが、演出家としても活躍した人で、三島由紀夫の「サド侯爵夫人」の演出作品で来日している。
 マドリッドでの初日の幕が開き、私はスペイン文化省の次官に夕食に招待された。食事場所はアメリカの小説家、「武器よさらば」、「誰がために鐘は鳴る」などの著者、ヘミングウェイが愛したレストランだとか。料理はヘミングウェイが好んだ子羊の丸焼きや、ウナギの稚魚をオリーブ油で炒めたものなどを勧められる。確かにオイシイ。初日の幕が開いた後なので、気楽な気分でワインを飲みイイキモチ。さて帰ろうかという段になって、突然勢い込んで次官が言う。マドリッドから1000キロほど離れた、アフリカ北西海岸の近くにカナリア諸島がある。マドリッドの公演が終わっても帰国しないで、その島の2都市、テネリフェとラス・パルマスで公演してくれ。
 突然で、事情がよく分からない。それにスペインにカナリア諸島などという島があるとは、まったく知らない。そんな所に、演劇の観客が居るのか? 私はしばらくの沈黙、次官は熱弁をふるい始める。あなたの舞台には感動した。この舞台はまだ演劇に触れたことのないような、青少年に見せるべきだと思う。
 私は半信半疑、感動してくれたことは有り難いが、私の舞台を日本語も分からない青少年に、見せるべきだと言うのはチョットネという感じ。当時の演劇界は翻訳の字幕を使うことはしなかった。日本語の分かる東京の観客ですら、何が何だか分からないと批判する舞台である。次官は言葉なんて問題ない、美しさとエネルギーは伝わる、日本文化ワンダフル、ワタシ、ダイスキ。外国人にここまで言われると私はいつも、私の舞台は日本文化の代表ではないはず、この人は日本を誤解していると内心で思う。
 スペイン人はもっと日本文化に触れなければならない。世界中の優れた舞台芸術を国民に紹介するのは、スペイン文化省の大事な政策の一つ、この演劇祭もそのためにある、是非お願いしたい、と次官は重ねて言う。そこで私は質問する。文化省の政策は分かった、しかし何故それがカナリア諸島の青少年なのか。スペインには他に演劇を愛する人の住む都市があるのではないか? この質問、マッテマシタ、とばかりに一気にまくし立てられる。
 カナリア諸島の人たちは、日本文化に触れる機会が少ない。ましてや演劇は、である。だからこそ行ってもらいたい、あなたの舞台と演劇理念が独特なのは承知している。日本の先端的舞台芸術、これに青少年が触れる機会など滅多にない、千載一遇のチャンスである。もしあなたが行ってくれれば、青少年はビックリ、そしてハッピー、文化省の政策もハッピーになる。
 ラテン系にここまで盛り上がられるともうお手上げ。私はフツツカナガラ、スズキタダシ、日本文化を代表してオツトメニ、マイリマスだった。それにもう御馳走になってしまっている。むろん、半分は好奇心、半分は感動したからであるのは言うまでもない。私の舞台が日本を代表するか、優れているかはさておき、ともかく外国の優れたもの、新しいものを、辺鄙な土地の青少年にこそ見せるべきだと力説する、この行政官の態度に感動し、その実際を知りたくなったのである。
 マドリッドからプロペラ機に乗って3時間強、まずテネリフェに到着。会場の小学校の講堂に入って驚く、天井はトタン屋根一枚で、ところどころに穴があいている。そこから太陽の光が洩れている。公演の準備にかかって更にビックリ。照明器具を吊るバーは竹竿、何台か吊ると器具の重みでしなってくる。実際に照明器具を点灯すると、明るくなったり暗くなったり、一定の光量を保てない。一度に多くの照明器具を点灯させると、電圧が下がり光量が変化するのだとのこと。それなりの覚悟はしてきたが、ここまでとはと笑いが込み上げてきた。そしてかえって元気になったのだから面白い。
 公演当日は母親とその子供らしい観客で満員、イワシの葬式というイワシの遺族の喪服姿に仮装して、街中を練り歩くカーニバルの当日だったからかもしれない。舞台への感想を聞く暇もなくテネリフェを離れたが、またとないケッサクな演劇人生の思い出となった。2020年のオリンピックの開催地に、マドリッドも東京都とならんで立候補している。招致活動の映像を見ていたら、二度と会うことはなかった、あの朗らかで情熱的な文化省の次官との出会いを思い出した。生きていたら、今頃は何をしているのだろうか。