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鈴木忠志見たり・聴いたり

3月28日 青い月

 月の光がこんなに明るいとは思わなかった。利賀村の夜の発見でした、と劇団員の一人が、稽古場から宿舎への帰り道に言う。雲のひとつも邪魔をしない満月の光は、雪に反射し、あたり一面を青白く照らし出す。奥深くまで山並みが薄明かりに白く浮いている。この光景は言葉で譬えるのは難しい。都会に育ち、長らく生活してきた人間にとっては、新鮮な驚きであろう。
 利賀村で生活するようになるまで、私もまた、その人生の殆どを東京で過ごしている。だから、月の明かりを身に浴びながら、夜道を歩いたなどという記憶はない。ビルの間に黄色いものが見え隠れしている程度の印象であった。むろん月は万葉集の時代から、藤原定家や西行まで、いや現代までも、人恋しさや人生の無常や惨めさの心情を託す対象として存在してきた。
 私の好きな西行など、なかなかにすばらしい一首を詠んでいる。月のゆく山に心を送りいれて、闇なるあとの身をいかにせむ。しかし実際のところ、西行の詠んだこの光景も心境も、利賀村で生活するまでの私には遠かった。ただ文学的な虚構としての技術的な見事さだと、受け取っていた嫌いがないわけではない。山の端に月が静かに沈みだし、山並みがシルエットになり、やがてすべてが闇に包まれていく光景が、映像として想い浮かばなかったからである。
 私の高校時代、月に関する不思議な流行歌がヒットした。菅原都々子という歌手が、かん高い声を震わせながら歌う<月がとっても青いから>である。一番の歌詞は、<月がとっても青いから、遠まわりして帰ろう、あの鈴懸の並木路は、思いでの小径よ、腕をやさしく組み合って、二人っきりで帰ろう>
 当時の私にとっては、実にシュールな歌であった。月が青い、そうすると遠まわりして帰りたくなる。それも一人ではない、二人で腕を組んで帰りたくなる。ガキの頃である。一応の理屈を言いたくなる。
 月が青いなんてヨクイウヨ。男が女をその気にさせたくなって、気取りゃがって。いや違う、これは女の気持ちかもしれない、とするなら実に馬鹿でキザな女だ、月を見ただけで妄想が湧き、ハツジョウスルナンテ。こう書くとメチャクチャ。しかし確かに、菅原都々子の歌い方は、どこからこんな声が出てくるのかと思えるほど、上ずって個性的な音色で震えていたのである。現在の私だったら、こんな難癖のようなケチはつけない。利賀の月を知ってしまったからである。二人は手を組みたくなった、そしたら、月の光が青白い炎のように、二人の愛をロマンチックに包んだ、実にバカバカシイが、ただしその場所が山奥でなら、これぐらいは考えてやってもよいとは思うのである。
 未だ雪が薄く地表を覆っている現在は、私が好きな季節のひとつである。家の外へ出ると風は冷たいが、月が木々の影を白い地表にくっきりと形にしている。その影の形態の多様さが面白い。薄明かりの中に浮き出る影、夜が明けるまでの短い時間のことだが、この光景に佇む瞬間を、贅沢と感じられるようになったのも、山奥に長年にわたって棲みついた有り難さかもしれない。