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鈴木忠志見たり・聴いたり

4月24日 山と雪の生活

 4月半ばを過ぎたのに、まだ雪が降る。利賀村の今冬は、それほどの積雪でもなかったが、寒さは厳しかった。厨房や浴室の水道が凍ってしまい、不便をしたことが多い。寝る前に蛇口から少しの水を流しておけば良いだけなのだが、ウッカリしたのである。このウッカリの後始末が一苦労、水道管に朝から昼過ぎまでも熱湯をかけ続けたこともある。
 いつものことだが、3月になってからいろいろな動物が、餌を求めて我が家に近寄ってくる。今年は怪我をしている貂や狸がいた。餌を奪いあった時の争いの傷であろうか、その争いは同種か異種か、いろいろと想像を誘われる。狸の怪我はそれほどでもなかったから、餌を与えて山に放した。しかし貂は傷口が化膿でもしていたのか、酸味の強い体臭を放つ。玄関に入れて観察していたら、5日も経たぬうちに死んでしまった。顔は白く目はパッチリ、体毛は見事な黄色、美しくて可愛い。狸はまだしも、貂は一般の人たちには馴染みのない動物、我が家を訪れた人たちに見せるのも、珍しくて良いだろうと剥製にすることにした。
 利賀芸術公園の園長に剥製にしてくれることを頼む。もう昔になったが、ハクビシンやヤマセミ、我が家の池で溺死していたカモシカなどを剥製にしてもらったことがある。しばらくして園長が我が家に来て言う。富山県には剥製業者がいなくなってしまった、隣の石川県にもいない。いろいろ探したら、岐阜県の高山市に一軒ある、これからそこへ持って行く、と死んだ貂をダンボール箱に入れて運んでいった。
 だんだんと日本から珍しい職業と、それに備わった技術が消えていく。劇団の拠点である合掌造りの劇場、その屋根は茅葺きだが、その屋根のふきかえ=葺替えをする職人も殆どいなくなったという。山の生活、雪の生活、これらが育んださまざまな生活の知恵と技術も、過去のものになっただけではなく、触れることが出来なくなってきた。利賀村にはもう大工もいない。
 合掌造りの建物は、山から切り出した大小さまざまな形態の材木を、自然の曲線に添わせながら、手仕事で組み合わせて造りだしたものである。大きな構造材の多様な曲線の組み合わせは、偶然を必然に転化したようで見事、見ていて飽きない。また木の表面は機械やカンナで削られているわけではない。斧で削った後に、さらに平らにするために<ちょうな>という手斧で削ってある。だから、木の表面にかすかな凹凸を残している。それが機械やカンナで削った木の表面とは違った奥行きを感じさせ、気持ちを和ませる。光線を跳ね返す仕方が奥ゆかしく、人手がかかっているものが醸し出す潤いの雰囲気である。しかし何と言っても、合掌造りの素晴らしさの最たるものは、太い構造材が空間をガッチリと押さえ込んでいる力感にある。
 合掌造りの劇場で稽古をしていると、自然の暴力=豪雪に抗して立ち続けた小屋組、それを作り出した知恵と技術、そこに注ぎ込まれた人間のエネルギーの量と力をひしひしと感じる。それが空間に漂っている。それを感じながら稽古が出来ること、これは演劇人としては幸せなことである。演劇は身体についての知恵と技術、人間の身体から放射されるエネルギーの力を鍛えることによって、その活動を維持してきた。
 滅んでしまった生活に息づいた知恵とエネルギーの力、それがまったく違った生活を生きる私の身近に存在し、私をたえず刺激し、私の身体を活性化させる。偶然とはいえ、この環境との出会いに感謝しなければならない。