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鈴木忠志見たり・聴いたり

5月11日 満開の時

 大型連休の後半になって、我が家の桜が満開になった。暖かい地方より一カ月以上の遅れである。行楽客をチラホラ見かけるが、今年は釣りをする人の姿が多いようである。バブル経済の頃には、家の前を流れる百瀬川の水が河川工事のためによく濁った。当然のことながら、イワナやヤマメは逃げ出す。多くの釣り人を見かけるのは、清流が戻ってきた証しであろうか。工事が少なくなって困る村民もいるだろうが、一面では喜ばしいことでもある。これ以上コンクリートの景観が増えるのではなく、大自然が戻り、そこに生息する生き物や、都会に住む人たちが楽しく時を過ごすことのできる場所になることも大事である。
 今から30年ほど前、朝から野外劇場の掃除に出かけ、一休みしようと家に帰って見ると、広間の応接セットに親子4人の家族らしい人たちが食事をしている。親は50歳前後、子供は中学生ぐらいの男女である。
 どちら様ですか、私に何か用でも、と聞くと驚いた顔をして、ここは休憩所ではないんですかと言う。ええ、私の家ですけど、私は答える。すると困った顔をして、すいませんと言うのだが、だからといってテーブルに広げたご飯とおかずを片付けようとする気配はない。私は内心ではムッとしたのだが、遠いところから来たらしいし、食事も途中である。子供にとっては珍しい場所に来たかもしれず、すぐに家から出てくださいと言うのもと思っているうちに、お茶でもいれましょう、という言葉が不意に口から出てしまった。自分でもビックリ。困った顔をしていた父親は破顔一笑、オソレイリマス。
 私は台所に行きお湯を沸かし、4人分の日本茶の湯呑みをお盆にのせて持ってくる。他人のための湯呑茶碗をお盆にのせて、丁寧に運んだのはこの時が初めての経験、チョット情けないような、ヨクヤッテイルと自己満足させているような不思議な心持ちだった。玄関の前にゴザを敷いて盛大に宴会を繰り広げられ、裏口からこっそり出入りしなければならなくなったのも、桜が満開の大型連休の時である。我が家の玄関に表札を掛けず、わずかな時間の外出には、戸締まりの鍵をかけない習慣がしからしめたことであった。
 人間、堅苦しい生活から解放されると、日常の埒を少し越えることはある。これは人生に必要なことで、いちいち咎めだてするほどのことでもない。ましてや、自然に包まれている場所である。
 皮肉なことに、利賀村の人口が減少するのに比例して、少しずつ大自然の面持ちが回復しつつある。それは私を元気にする。しかし大自然が良いと言っても、森林や河川を荒れるにまかせたり、すでにある橋や道路が使用出来なくなるまで、放置するわけにもいくまい。いったい誰がどのように、大自然と人間の共棲をこれからマネージするのか。これはこの利賀村だけのことではないだろう。
 日本全国に散在する過疎地、特に都会へ若者が流出し、定住人口の老齢化が進んだ山村の過疎地をどうするかは、これからの日本の重要な政治的政策課題の一つだと思う。国土と国民の精神生活の豊かさは、都会と大自然のバランスに依る。大自然に接したければ外国へ行けばよい、などということになったら日本人はモノワライの種である。大自然の素晴らしさ、その反面の恐ろしさ、これを身近に感じることは、人間の健全な存在の仕方に不可欠である。この感覚の喪失が悲惨な原発事故誘因のベースになったのは、ついこの間である。