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鈴木忠志見たり・聴いたり

5月21日 公共ホールのこと

 1980年代から90年代の私の劇団は、富山県利賀村の拠点で活動する以外は、欧米での公演活動が主だった。実際のところ当時のSCOTは、東京での公演を16年間もしなかったのである。世界は日本だけではない、日本は東京だけではない、この利賀村で世界に出会う、を劇団のスローガンに掲げた以上は当然の帰結と言ってもいい。しかし理由はそれだけではない。外国での公演活動による収入が、利賀村での活動資金と劇団員の生活を支えてくれたからである。31カ国83都市に及ぶ外国公演の殆どは、この時期になされている。
 この頃の外国での活動経験、特に欧米でのそれによって、私は強い刺激を受けた。それは私の劇団を招聘してくれた国が、首都だけではなく地方にもすぐれた文化施設を有し、かつ、それを専用施設として使用している舞台芸術団体が、自国民だけではなく多くの外国人を受け入れていたことである。
 私は舞台の質において、演劇上の劣等感を抱いたことはなかったが、文化活動によって形成されているこの国家の奥行き、舞台芸術関係者の世界に開かれたゆとりある態度には羨望の念を抱かせられた。当時の日本は未だ経済大国を自称していたが、文化にかかわる生活、とりわけ地方のそれは、どこへ行っても画一的で退屈、ウンザリしていたから、日本を代表する気持ちなどないくせに、なんだか恥ずかしい気持ちにさせられたものである。そしてこの恥ずかしさは、日本人が劇場と称している公共ホール、その在り方に起因していることに気づかせられたのである。
 私が外国での活動に専念していた当時の日本の地方は、自治省の強い影響下にあった。現在で言えば総務省だが、47都道府県の知事の約3分の1が自治省出身者であった。それだけではなく、自治体の財政を執り仕切る総務部長や財政課長のかなりの数が、自治省からの出向であった。それは地域の財政基盤を支える地方交付税交付金や地方独自の公共事業への補助金を差配する権限の多くを、自治省が握っていたことによる。貧しい地域にとっては、自治省との人的なパイプの有無は、地域活性化を左右する予算面での重要な要素の一つであったのである。
 1994年、私は自治省の当時の前事務次官、地方債課長の二人と、地方の文化活動の実態を知ってもらうために、兵庫県と山口県の公共ホールを視察に行ったことがある。日本の未来は、これからの地方の文化活動がどうなるかによって決まってくる。しかし、地方自治体が支出する文化予算があまりにも少ない。地方の首長が文化行政に自由に使える財源を少しでも増やせないかと思ったのである。文化は票にはならない、と選挙の時に公言してはばからない人たちの意識を変えるためにも、自治省の文化面における行政上の後押しが必要だった。しかしそれだけではなく、私が自治省の人たちに理解してもらいたかった重要な目的がもう一つあった。公共ホールの活動を画一化し、無個性にしている地方自治法244条を、改正してもらいたかったのである。
 私は東京新聞に1997年「劇場の公共性について」という文章を書いている。現在の状況とは少し異なるが、その頃の考えが簡潔に反映されていると思うので引用する。
 「公共ホールという施設がある。日本の多くの人たちは公共ホールを劇場だとみなしている。<中略>この公共ホールは地方自治法では「公の施設」と称され、多くの人の利用に供されなければならないとされている。住民の利用を拒否したり、施設を利用することについて、差別的な取り扱いをしてはならないと定めている。要するに、この場合の利用とは使用のことで、特定の団体や個人が独占的、優先的に施設を使用することを極力おさえようとしているのである。私は舞台創造にたずさわる人間として、この公共ホールを劇場だとみなすことができない。これは集会場である。多くの人に使用させること、貸し出すことを前提とした劇場というものを考えることができないからである」
 この主張の前提にあったのは、劇場とは病院や大学と同じで、専門集団が事業を展開するためにあり、住民はその施設を使用するのではなく、専門集団の事業を享受すること、それが施設の利用になるという考えである。地方の公共ホールが無個性になるのは、主催事業と称するものが、実際は東京の文化団体の招聘事業に過ぎなく、そこには地域のコミュニティーの独自性に対応する専門集団がないからである。地方の公共ホールは東京の文化団体の支店、集金システムの出先機関になっている。これでは文化面での地方の独自性は衰弱の一途をたどる以外にはない、その原因の多くは公共ホールを貸し館化し、特定専門集団の長期使用や優先使用を阻止する地方自治法244条にある、これが当時の私の認識だった。
 現在では文化に縁のなかった自治省も、文化活動を支援する財団法人地域創造を設立したし、地方自治法も改正している。また文化庁も今では、地方の劇場や音楽堂などを活性化するための財源を用意し、地方公共団体の文化活動を手厚く支援している。私が地方の公共ホールを視察に行った時から20年、隔世の感がある。
 しかしそれでもまだ、私には日本の未来についての不安が残るのである。それで本当に地方は活性化しつつあるのか、本当に優れた活動をする舞台芸術団体や人材が輩出しているのかどうか。しばらく遠ざかっていたこの世界のことだが、それを知ってみたい気はするのである。