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鈴木忠志見たり・聴いたり

6月20日 台所での会話

 賞味期限という言葉がある。どういう基準で決めたものか、冷蔵庫を覗いていた若い女優が、これも期限切れだ、これもだ、を連発している。すぐにでも廃棄しないと、という勢い。そんなものは熱を通せば良いのよ、勿体ないことしないで、消費期限ではないんだから、年輩の女優が言う。私も日本の貧しい頃に育ったから、食べ物を捨てることに抵抗のある人間だが、化学製品が多用されている輸入食品も多い。品物によっては用心深くしたほうが良いだろうとは思う。しかし、そのあたりの区別はなかなか難しい。腐食している訳ではないが、期限の日時が印刷されていると、やはり捨てる方に心が傾くから不思議である。一種の暗示にかかる。  
 聞くところによれば、賞味期限とは食べることのできないということではなく、品質が保てない、美味しく食べられないということらしい。食べてはいけないのが、消費期限だそうである。そういえば、あの女優もそろそろ賞味期限ですよ、と私に忠告してくれたオセッカイな男もいた。これも女優はできないということではなく、見る方の感じ方による。要するに、演技の鮮度や質の問題を指している。女優をヤメサセロ、消費期限がきた、ということではないようである。
 しかし、新しく生み出された製品などは、どうやってその期限を決めるのか。賞味や消費のそれを予測するのは難しいのではないか、素人の私は思う。いやいや、専門家にとっては成分や類似品のデータはあるし、経験上からも正確に予測はできますよ、と言われればそれまでだが、政治の世界でもそういう区別をしてもらうと、国民は助かるのではないか、そんなことにまで想像が飛躍する。
 最近の日本の政治家は登場した時は新鮮、エネルギーがあって、いつまでも美味しいのではないかと思わせられるけれど、彼らにも賞味期限や消費期限を表示しておいて欲しいね、と私は言った。すると若い女優がアッサリと応える。あの人たちは、モトモト食べられないものだから。政治への無関心もここまできたか、私はこれ以上、この話題には立ち入らないことにする。なにしろ台所での会話である。
 「ほたるがよる光るのは、野鳥によく見えて食べられるため。立派な人がこの世に生きるのも、中傷や陰口の餌食となるため」。チェーホフの戯曲「イワーノフ」に出てくる台詞である。立派な人かどうかは知らないが、近ごろの若い政治家は、登場の瞬間は実によく光る。古い政治家を賞味期限ではなく、消費期限切れの廃棄処分にする勢いがある。特に彼らの嘴は相当な明るさで光り輝く。そのせいか野鳥の群がりも激しく、すぐ餌食となるようである。マスコミという野鳥も相当な害鳥だが、わざわざその餌食となるような光り方をする不用心さにも呆れる。
 日本の田舎には、蛍がいなくなってきたという。気候の変動や田畑の減少、それに農薬の多用のためもあるらしい。確かに利賀村へ来た初期の頃は、至る所で蛍を見かけたが、近ごろは見かける機会も少なくなった。夜空に輝く星の美しさと蛍の光は、冬の雪と対照的な夏の利賀の素晴らしさである。蛍が完全にいなくなったら、寂しい限りである。いつまでも生きていて欲しいと思う。