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鈴木忠志見たり・聴いたり

6月28日 大山房開場

 観客席から舞台に向かって立ち並ぶ鉄柱、その柱から壁に向かって立ち上がる鉄板の袖壁、頭上には舞台に向かって並列している鉄骨の照明用ブリッジ、黒い鉄骨によって形成された空間の構造が、単純明快に浮き上がっている。シンプルだが深さを感じる空間である。
 利賀村の中村地区にある体育館を改修した劇場、大山房が誕生した。この劇場の完成により、利賀村は四つの室内劇場、二つの野外劇場、合計六つの劇場を持つことになった。この劇場は国際的な演劇拠点としての利賀村を、更に活性化するように迫っている。確かに、全力を挙げてそれに応える以外に道はない、と思わせられるだけの迫力がある。私が生きた山奥での不思議な出来事、その最終局面の訪れのようにも思える。
 この体育館は昭和60年<1985年>に竣工した。バレーボールのコートが2面もとれる大空間で、入り口に向かった奥の方には、小さな舞台が設えられていた。稽古の終了後に、村の人たちとバドミントンや卓球をしただけではなく、建設業協会が村民の娯楽のために招聘した、流行歌手こまどり姉妹の歌を聞きに行ったこともある。そればかりではなく、冬のそば祭りの時には、殆どの村人が集まり、茣蓙を敷いて食べたり吞んだり、大宴会の会場になったりもした。まさしく多目的空間として機能し、活躍していたものである。
 利賀村の当時の人口は、現在の2倍近い1200人、広い利賀村ではなかなか出会うことのない人たちとも話しあえる、私にとっての唯一の社交の場であった。それが市町村合併で南砺市になった頃から、体育館に明かりが灯ることも少なく、巨大な建物は幽霊屋敷のような風情になっていった。勿体ないことを、このまま廃墟になるのか、私はそう思っていたのだが、利賀村出身の南砺市長の決断で見事に変身した。6万人にも満たない人口の南砺市が、これだけのことをするのは、財政的には苦労もあったであろうと推察するのだが、しかしこの空間の見事さと、改修に必要とした経費の額を知ると、日本の各地域の至るところに存在する、遊休公共施設の卓抜な転用例だと、日本全国の注目を集めるモデルケースになると思わせられるところがある。
 この大山房の杮落としは8月下旬、現代音楽と仏教音楽の声明によるパフォーマンス、今年のSCOT Summer Seasonの幕開けでもある。SCOTの創立者のひとりであり、日本・中国・韓国の演劇人によって創設されたBeSeTo演劇祭や、シアター・オリンピックスの事務局長として活躍し、この利賀村を世界演劇の聖地にまで変貌させた、斉藤郁子の追悼公演も兼ねている。
 今年からSCOT Summer Seasonは、新しい装いの下に出発する。この利賀村での活動を、単なる文化活動の一環とするのではなく、日本の山村の自然環境と施設群の素晴らしさ、国際的な幅広い人脈によって形成されてきた実績、これらを梃にして、この利賀村の活動を未来にむかって、確実に存続発展させる社会活動としての側面を強く押し出していこうとするものである。日本が世界に貢献できる財産の一つにしたい、そんな気持ちである。
 そのために、すべての公演に入場料金を設定しなかった。好きなものを好きなだけ自由に観てもらうのである。またそれだけではなく、ここで行われている活動は、興味を抱いた人がいつでも接することが出来るし、参加することも出来る運営システムにすることも目論んでいる。この村に定住したり、セカンドハウスを所有する人たちを呼びよせたいとも思っている。それを民族国境の区別を乗り越えた形で実現すること、世界中の人たちの協力の下に、日本に在って日本ではないような、国際化した文化地域になることを目指すつもりである。これから徐々に、その全貌は明らかになっていくと思うが、この新しい計画に賛同し応援してくださる方が一人でも多いことを願っている。