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鈴木忠志見たり・聴いたり

7月10日 励まし

 今でもそうだが、野外劇場の公演が終わると、舞台上で鏡割りをする。生酒の入った樽の蓋を、餅つきの時に使う杵で割り、観客全員にふるまうことを恒例としている。舞台上はコップを手にして、背後の池や山を眺める人たちでギッシリ。
 もう30年ほど前、利賀フェスティバルの初期の頃である。20歳前後の若い女性が突然、私の横に立って言った。一緒に写真を撮ってください、私は並んでカメラを見ながら、どこから来たのかと聞く。五島列島の福江島です。高校を卒業し就職先も決まって、もう二度とこんな時間はとれないだろうと決心して来ました。遠かったです。興奮した面持ちで喋る。
 五島列島! 長崎からさらに飛行機や船に乗らなければ、たどり着かない所である。野外劇場での上演時間はおおよそ一時間強、その舞台を見るために消費した時間と金銭を思い、しばらく絶句。むろん、この利賀村だけではなく、ついでにどこかの観光地を巡ってのことかもしれないが、とにかくアリガタイコト、日本のどこから来るのにも、利賀村はホントウニ遠い。ただ一言、アリガトウと言って握手をしたが、その時に、小樽から青森を経由し、新潟で一泊して来てくれた人や、鳥取県の境港市から来てくれた人たちのいたことも思い出す。同じく二人とも若い女性であった。
 当時の観劇料金は一舞台一回で、3,000円から4,000円。外国から招待した劇団の作品とSCOTのそれとを合わせるとそれなりの舞台数になる。そのすべてを観劇するとなると、かなりの出費になる。遠い所から来てくれたのだから、出来るだけの公演を見て欲しい気持ちになるのだが、大勢の観客の中には、まだそういう人たちがいるはず。たまたま会話を交わすことになった人だけを、無料でドウゾ! と言うわけにもいかないから、その言葉は口には出せない。そしてなんだか、相手に申し訳ないような淋しい気分の握手になったものである。本当はウレシイ握手なのにである。
 私も若い頃は経済的に貧しかったから、世界的に有名になっている舞台の来日公演を見るのには決心が必要だった。その高額な入場料金を理不尽に感じたりしたものである。滅多に接することの出来ない外国のものだからこそ、低額な料金で見せるべきではないか、それが文化活動というものではないか、そういう主催者はいないのか、などと勝手な理屈を捏ねたりしたが、その頃の気持ちが蘇ってきたりすると、なお淋しい気分を引きずるのであった。その故か、しばらく経ってから暇を作り、福江島や小樽や境港へ行ったりもした。その時の女性に会ってみようとしたわけではない。結婚したり就職したりするはずだから、いつまでも自分が生まれ育った土地に居るとはかぎらない。ただ、日本という小さな島国にも、いろいろな地域があって、いろいろな人たちが暮らしている。そしてそこから、私を応援しに利賀村に来てくれた人たちがいた、そんな実感を確かにしたかっただけのことだと思う。
 福江の市街から離れた海辺に孤独に建つ教会や、小樽の運河の夜景や、境港の小さな商店街の歩道に並んでいた、水木しげるの漫画の主人公の姿は、今でも鮮明に記憶に残っている。自己満足的な想いと言えばそれまでだが、そこで生まれ育った女性たちとその街の風景は、私が利賀村で活動を持続するための、いくばくかの励ましになっていたことは、確かなのである。もちろん、だからといって、彼女たちに一度しか会えなかった淋しさは、消え去ったわけでもない。
 30年近く引きずっていたこの気分、ついに今年から意を決して別れることにした。利賀村での舞台公演のみならず、ここでのすべての活動を、興味を感じてくれた人たちには、自由に接することができるように公開することにした。この利賀村まで到着するための費用を、負担するような財力は劇団にはない。だから、せめてこの利賀村に滞在し、我々の活動に触れたい、それが必要だとする人たちに対しては、対価を求めないことにしたのである。このことが若く貧しい若者たちに、どれほどの助けになるかは分からないが、これが40年近くにわたって、私を励まし助けてくれた人たちの心への、ささやかなお礼になっていればという思いからのことである。先のことは定かではない。ともかく今年は、ガンバッテ、ヤッテミルカ! これが私を初めとした劇団員のいま現在の心境である。