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鈴木忠志見たり・聴いたり

7月19日 ダニについて

 最近になって、長靴を履くと脚の疲れがひどい。年のせいであろう、筋肉が痛くなる。夏に長靴とはと呆れられそうだが、これには理由がある。今年になって、脚を虫に刺されることが多くなったのである。特に足袋とズボンの間、肌が露出している足首のあたりを狙われる。赤い斑点の刺し疵が360度にわたって広がり、無闇と痒い。劇団員が一様に言う、これはダニだ。
 ダニとは土中・水中・海中などに生息する節足動物の総称で、日本には2,000種近くがいるそうである。人畜に寄生して血を吸うものもあるらしい。匂いに敏感に反応し、尖った歯で噛み付く。去年からテンやタヌキを飼いだしたので、私の身近に多く生息しているのだと推測している。こういうダニの特性が、転じて、人に嫌われる者の形容にも使われる。
 芸術団体や芸術活動に対して、助成金を交付する芸術文化振興基金という国の助成制度がある。その助成金の配分の仕方とそれを決定する委員の構成について、演劇評論家の菅孝行が、最新の演劇雑誌テアトロに批判を書いている。演劇に限ってのことだが、具体的な金額や各部門の関係者の名前に即して、菅孝行らしい攻撃的な論調が展開されている。その文中に<ダニ>という言葉が出てくる。むろんこの言葉は、社会に害をなすと見なされた人間を非難・軽蔑する用語。感染症を媒介する恐れもあるから、退治したり駆逐すべき対象に使われる。学生運動の華やかなりし頃や、左翼の政治闘争を思い出させるものだが、しかし、具体的な資料に当たっての発言なので、その左翼的な体質の口調が、かえって説得力を獲得して、久しぶりに見る悪口雑言の懐かしさである。
 この文章の中に、既に故人となっている千田是也と浅利慶太の対談の引用がある。私も初めて目にするもの、これまた菅孝行の口調にヒケをとらない激しさで、このダニという言葉が使われている。少し長いがそのままに引用する。
 千田 世界国立劇場の歴史が示しているように、だれがやったって官僚化するものですよ。<中略>これは第一国立劇場(三宅坂の国立劇場のこと)の管理の仕事をやっていた人から聞いたんだけど、芝居をやってた人間の方がずぶの役人よりももっと官僚的になるそうだね。<中略>
 浅利 第二国立劇場(新国立劇場のこと)で一番心配なのは、二流の芸術家が官僚化して、あの中に閉じこもったら、サザエの一番奥のところにダニが入ったかっこうになっちゃってね。ほじくり出すのに困っちゃって、日本芸術の最大のガンになる。それをなんとしても防ぐということじゃないですかね。
 浅利慶太も旧左翼出身だが、ミュージカルで興行的な成功をおさめている現在の彼を想うと、若い頃はここまで戦闘的だったのかと驚く。彼のダニについての比喩は生理的で実にオカシク、ナルホドと笑わせられる。まあこれぐらい激しくないと人間、演劇界では何をやっても成功しない見本のようなものかもしれない。確かにそれがマイナスのイメージだとしても、<日本芸術の最大のガン>という言葉は、私にとっては対象を評価しすぎ、この言葉を差し引けばオッシャルトオリであろう。無能な演劇人ほどダニになりやすい体質の人間はいない。それも群れを作って、感染菌を撒き散らすから始末に悪い。
 この対談が行われたのは1984年、これは新国立劇場についてのことで、菅孝行が言及しているのは、基金という助成財源をもつ日本芸術文化振興会に巣くったダニのことである。しかし、この二人が踏まえていた演劇界への認識は、依然として現在も続いているものだと私も思う。千田是也は押しも押されもしない左翼演劇界のリーダーだった。新劇団協議会の初代の会長を務めている。その末裔である劇団協議会の面々が、現在は新国立劇場や振興会に巣くって、助成金のお手盛りをしているという。私もうすうすとは知っていたことだが、千田是也や浅利慶太が、この実際を目にしたら、どんな心境になっただろうか。
 菅孝行が指摘することが事実なら、東京の演劇人は芸術文化振興の名の下に、国民の税金を仲間内の失業対策費に、流用し浪費しているとしか思えない。千田是也や浅利慶太が活躍した時代の、演劇人の志は何処へ消えてしまったものか。時代の変転に翻弄されたとはいえ、ただただ無慚の感を拭えないところがある。
 これから活躍しようとしている若い演劇人たちの、奮起を期待するしかないのかもしれない。