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鈴木忠志 見たり・聴いたり
7月26日 ご随意にのこと
<随意>という言葉がある。もともとは仏語として使われていたものらしい。思いのままにあったり、束縛や制限のないこと、そういった状態を表す言葉である。実際にそのように振る舞ったり行動したら、<気随>である。随意は人間関係で厳しい使われ方をすることもある。例えば、<ご随意になさったら>、これは一見丁寧な物言いのようにも見えるが、勝手にしろという相手を突き放した強い言葉にもなる。
ともかく、個人の意志や気分によって物事を決定したり、行動することなのだが、それがかえって心理的には束縛になることもある。いつも与えられた基準があって行動することに慣れてしまった領域では、この言葉に従っての行動を迫られると、必ずしも自由な感じを与えられるものではない。<ご随意に>などと言われると、コマッタナアーという心理になることもあるのである。というより、この言葉に促されて行動に移るには、それなりの勇気や覚悟を必要とする時もあるというべきか。
私が初めてこの言葉に直面したのは、40年ほど前のことである。私の演出した舞台の公演中に、主演女優の一人が日に日に痩せていく。何かの病気にでもなったかと心配して聞いたら、下痢が止まらないという。黴菌によるものか、ストレスによるものか、判断がつかない。公演日はまだ一カ月近くも残っている。そこで、この公演の女性プロデューサーに相談した。
当時の女性としては珍しく、多彩な人脈の中を素早い行動力で生きていた女性プロデューサー、今日のうちに、ココヘ、イッテクダサイ! とメモの紙を手渡される。それを見て私はビックリ。そこには医師の名前と診療所の場所と時間が記されている。医師の名前は武見太郎、診療所の場所は銀座である。迅速な対応には感謝したが、大袈裟になってしまったと感じたものである。
最近の若い人たちには縁のない名前だと思うが、私たちの年代には特別のもの。武見太郎とは25年間にわたって日本医師会会長の地位にあり、政治家や厚生省を相手に、切った張ったの駆け引きをして、自民党政権に自分たちの主張を吞まさせつづけた人である。泣く子も黙るケンカ太郎と言われたりしていた。当時の日本医師会の会長の権力と政治力は凄かったということだが、彼を敵にまわすことのできる政治家はいなかった。吉田茂の閨閥にも連なるから、患者には歴代の首相やら自民党の有力政治家が多い。
紹介され、相手からも時間を指定された以上、すぐ行動に移らなければ失礼になる。私の劇団の事務局長でプロデューサーの斉藤郁子が稽古場から女優を連れて、すぐ銀座に出発。3時間ほどして斉藤から電話が入る。開口一番ドウシマショウ、明らかに困惑した口調である。診療代金を払おうと会計の窓口に行ったら、<ご随意に>と書いてあるというのである。私は笑った。さすが日本医師会の会長、オオキク、デルナー。
お金は持って来たけれど、それほどの金額ではない。政治家の人はたくさん払っているだろうから、こんなに少しだとかえって失礼になるのでは。斉藤の気の使い方もオモシロイ。ナルホド、それも一理はあると思いながら、私はしばし沈黙の後、電報の文章のように言った。金は、ハラワナクテヨイ、ホガラカニ、オレイノコトバヲユッテ、ソノママカエレ。アトデ、プロデューサート、ソウダンシテ、ショリシロ。斉藤はこんなこと初めて、オドロイターと帰って来た。そして、女性プロデューサーとナニヤラ相談していた。この女性プロデューサーこそ、岩波ホールの総支配人高野悦子さんである。斉藤郁子ともども今はこの世に亡いが、この二人のプロデューサーにはたいへんに世話になったとつくづく思う。
今夏からSCOTサマー・シーズンの舞台公演の観劇料はないことにした。武見太郎の真似をして、オオキク、デタというわけではない。むしろしみじみ、チイサク、デタと思っている。利賀村での活動を応援しても良い、と思ってくださる方のみから、志を戴くことにして、その金額を<ご随意に>にさせてもらったのである。その理由の一端は、前々回のブログに書いた。
7月15日から観劇の受付を始めたが、申し込みが殺到している。8月末の公演だが、今月の末には全公演の劇場が満員になる勢いである。観劇の予約をしてくれた方の中には、観劇料金制度を廃止にして、劇団員の経済生活は成り立つのか、と心配してくれる人もいるが、その点は大丈夫。たとえわずかな時間でも観客の人たちと盛り上がれたら、人生ここに在り、と意気に感じる職業、少しぐらいの貧しさは我慢できる。この試みは資本主義経済システムへのささやかな反撃だと、劇団員一同は盛り上がっているからご心配なくである。
それより我々の方が観客の皆さんに、日本医師会会長の会計窓口で、斉藤郁子がしたような気遣いをしないで戴きたいと、お願いしたい。ともかく一度、お互いにどれぐらい盛り上がれるか、気随にヤッテミマショウ。