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鈴木忠志見たり・聴いたり

9月12日 アジアへの期待

 SCOTサマー・シーズンが終わった。たいへんな盛況で、新しい試みの目的がよく観客の皆さんに浸透したようで満足している。SCOTの公演活動の終了後、すぐに演劇人会議主催のアジア演出家フェスティバルが始まった。二日の間をおいて、演出家から観客へ変身する。
 日本・中国・韓国・台湾の若手演出家による競演である。ストリンドベリ作「令嬢ジュリー」を共通の上演台本として演出している。貴族の娘が下男と情を通じ、破滅する物語り。それぞれに工夫を凝らした舞台だったが、台本の自然主義的なリアリズムに足を取られ、演出家の想像力の飛躍が弱く、密度も薄い。戯曲の状況を現代社会の人間関係にはめ込もうとし過ぎ。演出家自体がリアリズムの思考から脱していないので、戯曲を現代的な状況に照応させる解釈が目立つ。それがかえって、演出家の世界観の古めかしさを感じさせている。
 もう一つの印象は、演劇集団の舞台上での独自性とは何か、が深く問われていないことだった。日本に於いても顕著なことだが、アジアの国々もアメリカと同じように、演劇の独自性は精神的な同志の集団作業にあり、その集団の持続を支える理念が、優れた舞台作品を生みだす力だという確信が成立しにくくなっていると見受けられた。逆に言えば、演劇人が演劇人であるために戦わなければいけない問題は、どこの国でも共通だということになる。どこの国のどんな演出家が、演劇人にのしかかっているこの世界的な課題を突破して登場するのか、私にはこのことを実現させうるのは、アジア人しかありえないという妄想に近い信念のようなものがあり、このアジア演出家フェスティバルは楽しみになってはいるのである。
 このフェスティバルも終わり、現在は「リア王」の稽古をしている。SCOTの俳優だけではなく、リア王の三人の娘と重要な登場人物の一人グロスターは韓国人俳優によって演じられる。韓国の俳優がそれぞれに個性的で稽古は楽しい。
 この舞台は今月末に利賀村で上演し、来月の初旬には韓国のソウル国際舞台芸術祭で上演する。その後、武蔵野市の吉祥寺シアターでも上演するが、その公演の時のリア王は、ドイツ人俳優が演ずることになっている。ドイツ人俳優はかつて吉祥寺シアターでこの役を演じているゲッツ・アルグス。私がギリシャの古代劇場エピダウロスで、アイスキュロスの「オイディプス王」を上演した時に、オイディプスの役も演じている。力と魅力のある俳優である。吉祥寺ではドイツ、韓国、日本の三カ国語が激しく飛び交う珍しい舞台になる。かつてアメリカの俳優も加わった四カ国語の「リア王」を創ったことがあるが、その時と比べて、三人娘を韓国人に統一したことや舞台上で語られる異言語のバランスなどは、意識的にしたつもりである。
 いずれの俳優たちもスズキ演劇の本質を理解している人たちだから、違う言語を話しても舞台上での違和感はない。こんな多言語による舞台は、思いついてもなかなか実際に実現できることではない。私の呼びかけにいつも、即座に応じてくれる俳優たちに感謝している。世界中、特にアジアの演劇人が気持ちよく参加してくれているという実感は嬉しい。ただそれだけに、世界中から参集してくれる演劇人たちに、満足の思いを抱いて帰国してもらうためには、イマ、スコシノ、キリョクノ、ジュウジツヲ! と我が身に言い聞かせている昨今なのが、ショウジキなところである。