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鈴木忠志見たり・聴いたり

9月19日 今更の堅気

 最近はそうでもなくなったが、若い頃に演出した舞台作品を再演したりすると、舞台を見ながらよく思ったものだ。この人は一度は正業についた方がよかったかもしれなかったと。しかしまたその後ですぐ、その気持ちを打ち消すように、長谷川伸の作品「瞼の母」の一場面の台詞を呟いたものである。何の今更堅気になれよう。
 五つの時に母親に離別した忠太郎が、30年近く経ってようやく探し出した母親に、自分の子供ではないと拒絶され、家から立ち去るように催促される。もちろん母親は内心では我が子だとは思っている。母親が我が子と認めない理由は何か。「だれにしても女親は我が子を思わずにいるものかね。だがねえ、我が子にもよりけりだ、忠太郎さん、お前さんも親を尋ねるのなら、何故堅気になっていないのだえ」
 先に引用した言葉は、忠太郎がこの母親に答えた言葉の一部である。親といい子というものは、こんな風でいいものかと思った忠太郎は、「おかみさん。そのお指し図は辞退すらあ。親に放れた小僧っこがグレタを叱るは少し無理。堅気になるのは遅蒔きでござんす。ヤクザ渡世の古沼へ足も脛まで突っ込んで、洗ったってもう落ちっこねえ旅にん癖がついてしまって、何の今更堅気になれよう。よし、堅気で辛抱したとて、喜んでくれる人でもあることか裸一貫たった一人じゃござんせんか」と言うのである。
 何の今更堅気になれよう、これはもっとも気に入った台詞だった。私は演劇活動に夢中になって親から勘当された一時期もあるし、定期的に給料を得るような職業生活をしたことがなかったから、こういう言葉を身近に感じる環境にはいたのである。
 しかし「瞼の母」をよく読むと、この母親もこんな言葉を言えた義理ではないではないかと思える。ただただ金を儲けたばっかりに、やくざの忠太郎が家の身代に眼をつけて、金をゆすりに来たと疑い、突っぱねて追い帰すのだから、忠太郎もあんな弁解をしないで、こう言い返すこともできたはずである。おかみさん、どちらが堅気でござんすかねー。
 堅気とは一義的には、心持ちの真面目さや律儀ということを意味するが、やくざやばくち打ちあるいは水商売などに比して、堅実な職業をさす言葉としても使われてきた。しかし人間の心性としてならともかく、現在の日本社会に真面目な心持ちで務めができて、堅実な職業などというものが多くあるとは思えないから、もし今、この言葉を学校教育の現場で使われたらどんな感じになるのか想像してもみたくなる。
 例えば、いじめや登校拒否の頻発する中学校の卒業式で、校長先生が壇上に立つ。皆さん、卒業してもカタギに生きて行きましょう、と言ったとする。おそらく、生徒の多くはイマサラ、何を言われているのかトマドウに違いない。水商売はさておき、やくざもばくち打ちも、もはや我々の生活に身近ではないから、この言葉は真面目で律儀に生きる精神のことだと解する以外にはない。生徒は、ソンナコト、アタリマエと思うし、この言葉を何回も聞かされたからウンザリダと感じる。そこで今度は突然、正義感に憑かれた一人のカタギな生徒が立ち上がる。そして、いままでサンザン学校を荒れるにまかせておいて、なんで今更堅気になれよう、先生といい生徒といい、こんな風でいいものか、と叫ぶとする。サテ、校長先生はどんな顔をするのか、すべきなのか、これはなかなか難しい場面である。
 もし校長先生が生徒に向かって、先生はショウジキではなかった、君の言うことはホントウダネー、スマナカッタと堅気にやさしく言ってしまったとしたら、この校長先生はPTAや教育委員会ばかりではなくマスコミにも、堅気な校長ではないと逆に激しく叩かれ、職を辞さねばならなくなるかもしれない。そういうことになったら演劇人は、この校長先生を励ましてあげるべきだろうか。国にはぐれた先生がグレタを叱るは少し無理、と。
 なんとも他愛のない<ぶろぐ>であったが、これも今夏のSCOTの新作、失われ消え去った日本人を呼び戻そうとする、母親の幻想を描いた<新釈・瞼の母>に、ノメリコミスギタせいかもしれない。