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鈴木忠志見たり・聴いたり

9月24日 マムシカレー

 長い時間、他人と生活を共にすることは、シンドイことも多いが、面白いこともある。その面白さの方は、若い人間から与えられることが多い。驚きと笑いである。
 オイ、マダ、デキナイノカ! 隣の部屋、台所に向かって私は叫んだ。モウスコシ、マッテクダサーイと返事。稽古が終わり、劇団員と車座になって酒を吞んでいる時である。村長が劇団の食事の貧しさを見かねたのか、野外劇場の舞台背後の池に鯉を、宿舎として使っている合掌造りの後ろにある小さな池にイワナを、放り込んでくれた。
 酒のサカナが無いので、イワナの唐揚げでもしようということになって、劇団員の一人がそれでは料理をしてきます、と台所へ行った。東大医学部に在学中、劇団に入ったばかりで、俳優志望の男である。30分しても戻って来ない。何かあったかと、台所を覗きに行った劇団員が呆れて帰ってくる。ナニヲシテイタ。これから揚げるそうです。コレマデハ、ナニヲシテイタノダ。私は少しイライラする。5匹のイワナの解剖がようやく終わるところだそうです。何がなんだか分からない。ともかく唐揚げを待つことにして再び吞み始める。
 それからまた30分、もう深夜、ようやく車座の真ん中に5匹のイワナが並んだ皿が置かれた。私は新入りの劇団員に訊く。どうしてこんなに時間がかかった。なぜ解剖なんかするんだ。その答えが予想を越えてオカシカッタ。
 イワナはすぐ捕まったのですが元気がない。病気ではないかと心配になり、解剖を始めたら、イガイニ時間がかかってしまいました。スイマセン、劇団員が食当たりでもすると明日の稽古にさし障りがあると思って。それを聞いた他の劇団員が言う。唐揚げにしちゃうんだから、そんな心配はダイジョウブ。これまでの経験からの言である。もう一人がそれに続けて言う。水がチョロチョロしか流れない池だから、イワナも元気がないのは当然、死んでいなければダイジョウブ。
 私は訊く。明日の稽古を気遣ってくれて解剖を始めた、その配慮と努力には感謝するが、ソレデ、ナニカワカッタノカ。イエ、ワカリマセン、内臓は捨てておきました。当たり前のことを言う。この男は未だ魚を捌いて料理したことがなく、解剖によって初めて魚の内臓と生に接触でき、勉強がてら楽しかったのではあるまいかと私は推測。残ったわずかな酒を等分にコップに分け、明日も頑張ろう、オツカレサマ! 35年ほど前のことである。
 興味の持ち方や経験の違い、個々の生活史からくる行動の差異、世の中にはいろいろな人間がいる。この素朴な事実を絶えず新鮮に感じさせてくれるところが、劇団のおもしろさ。東京での活動と違って、利賀村では共同生活が長いから、些細なことでそれが際立つ。
 当時の劇団の炊事係は3人一組の当番制。ある夕食、カレーが出た。劇団員40人が、ベニヤ板を敷いて食卓の代わりにし、二列に向かい合い食べ始める。しばらくして劇団員の一人が炊事係の女優に尋ねる。野菜と一緒に煮込んであるこの肉はナンダ。女優は嬉しそうに答える。マムシです。劇団員、特に都会育ちの男たちは理解不能という顔をして、一斉に食べるのを止めて、沈黙。困った雰囲気である。ここで私の出番。
 どうしてマムシを手に入れた? 道を歩いていたらマムシを見つけたので、捕まえて皮を剥ぎ、輪切りにしてカレーに入れました。平然と答える。どうやら疲れている劇団員に、精力を与えようとマムシカレーを思いついたらしい。これは善意、イヤガラセデハナイことを確認。
 20歳前後だったこの九州育ちの女優、愛くるしい顔をしている。今やこんなことができる若い女性は、日本には居なくなったのではないかと思うが、この行動には地域色が歴然と現れていて私にはタノシイ。
 食事が終わってから、この女優を呼び尋ねる。他の炊事係に相談してやったことか。いえ、一人でやりました。そうか、これからはナニゴトモ相談してからやれ。ミンナ、オドロクカラナ。ハイ、ソウシマス。ところで、お前の田舎にはマムシはいるのか。ええ沢山。すぐこの蛇はマムシだと分かったのか。ええ、マムシ酒とかマムシの黒焼はよく見かけますし、身体に良いと思って。朗らかである。確かに、マムシの粉末は強精剤として売られている。
 利賀村での活動の初期、村の老人がマムシの入った一升瓶を、私の健康のためにと持って来た。マムシは生命力が強い、なかなか死なない、マムシを酒のビンに入れて3日後に、口をビンにつけて吞もうとして、唇を噛まれた奴がいる、でもこいつはもう大丈夫、死んでいる。楽しそうに帰っていった。初めて見たマムシのビン入り、少し気味が悪かった。この女優の父親もマムシ酒などを造っていたのかもしれない。マムシに脅えなかったのは、そのためだろうと思う。
 日本人の生活スタイルも画一化してきた。それにつれて、生活体験の幅も狭まっているのではなかろうか。未知の生活環境で育った人間だと思え、新鮮な感覚を与えられる若者と出会う機会も少なくなってきた。それだけではなく、専門家であればあるほど、お互いにその世界の仕事に忙しく、興味を感じあっても、すぐそれを行動に転化できないことが多い。少し努力を怠ると、いつも同じ職業か、その周辺の人たちとだけに接触する、惰性的な生活に埋没しそうになる。
 人間に対して驚いたり笑ったりする機会に出会えず、また、それを欲する心を失っていくこと、そうなったら演出家はお陀仏、歳にかまけて鈍くなってはいけないことの一つである。