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鈴木忠志見たり・聴いたり

11月5日 ガラクタ談義

 他の芸術ジャンルと比べて、演劇の本質はどこにありますか、と聞かれ、ガラクタを集めて、まだ見たことのないような空間を創ること、と答えたことがある。相手は一瞬キョトンとしていた。ガラクタという言葉にヒッカカッタらしい。しかし、1960年代に話題になった演劇人の舞台を括るには、これはなかなか上手い言い方だったのではないかと今でも思っている。特にアングラ御三家と称された、寺山修司、唐十郎、それに私の舞台を一言で評するには、これ以外にはないような気がする。
 ガラクタとは、値打ちもなく役にもたたない半端物のことだ。その半端物を拾い集めて、ひとかどの物を創る手つきが、舞台の面白さの大半を占めている、これが当時の私の実感。言い方を代えれば、この三人の舞台はガラクタの発見とその再利用の方法化に、独自性を示していたのである。
 寺山修司の見世物の復権などは、その意識的な方法の最たるもので、身体的にも精神的にも奇形なもの、一般の常識感覚からは忌避されたり抑圧されたりするものに、あらためて存在意義を付与し、世間に衝撃をあたえた。寺山は、通俗・俗悪として軽蔑される文化的な表現を露出させ、それに知的最先端の理屈の衣を纏わせる。その言い方が、あたかも佐々木小次郎のツバメ返しを思わせるような手つきだったから、迂闊なインテリは背後から、ケサガケに斬られたようなところもあった。
 それと比べると、唐十郎のはオドシ。我らは河原乞食、千紫万紅の怨恨を生きるなどと、西洋直輸入の文物をアリガタク感じる人たち、演劇界に即して言えば、新劇と呼称した当時のハイカラ正統演劇の担い手たちへ、オドシの啖呵を切っていた。こちらは少し不良っぽくてスキャンダラス、その初期の舞台の切れ味はミゴトだったが、ただし邪剣の趣もあり、甲源一刀流の盲目の剣士、机龍之助を想わせた。龍之助、両眼めしいても剣の眼は見える、唐もこんな心意気で新劇に立ち向かっていた。
 ともかく寺山と唐は、土着趣味と懐古趣味の違いはあるにせよ、誰でもがガラクタと認知するものを、日本の社会批判の武器に転化しえたのである。ガラクタもそのまま放っておけば何ということもないものだが、ひとたび特殊な関係に組み込まれると、存在感を獲得し光り輝く。それが西洋崇拝の近代主義的な価値観を信奉する人たちへの批判に転ずるのが、彼らの舞台の醍醐味であった。月も宇宙のガラクタ、太陽との関係でたえず光る部分が変化する。そして多くの人に人生の想いを仮託させるのである。
 むろん、私の舞台もガラクタの構成から成り立っている。ただ私のは、寺山や唐と違って、日本国内のガラクタを材料にしただけではなく、ヨーロッパのガラクタの使用頻度が比較的に高かった。こう言うと、ギリシャ悲劇もシェイクスピアもモスクワ芸術座もガラクタになるわけですか、滅相もないという顔をする人が現れるかもしれない。もちろん、それらも私にとってはガラクタに決まっている。戯曲だけではなく、俳優も音楽も衣裳もみんなガラクタ。もちろん私もガラクタである。世界の演劇人がすばらしい劇場だと羨む利賀村の合掌造りの劇場にしてからが、日本人の多くが捨てていった見事なガラクタだったではないか。寺山や唐との違いがあるとすれば、私が戦った主戦場が違ったからで、そのための戦略・戦術が複雑多様になっただけである。
 最近、歌舞伎座が改装され、多くの観客が訪れているらしい。結構なことだ。しかし私からすれば歌舞伎だってガラクタ。それがガラクタではなくなり、安物の観光用品になったらおしまいである。まさか、自分たちは立派な人間で、二束三文のガラクタではない、などと、役者たちが思い上がっていないことを願うのである。お節介なことだが、人間の人生は、自分のガラクタ性を絶えず認識する以外にはないもの。そのガラクタ性に、どこから、どんな光を照射するか、それに悩み闘う姿に他人は感動する。谷崎潤一郎は歌舞伎についてこんな言い方をしている。
 「まことにこれはわれわれが生んだ白痴の兒である。因果と白痴ではあるが、器量よしの、愛らしい娘なのである。だから親であるわれわれが可愛がるのはよいけれども、他人に向って見せびらかすべきではなく、こっそり人のいないところで愛撫するのが本當だと思ふ」
 ずいぶんと刺激的な物言いだが、こういう認識も貴重でないことはない。人生、過去の物はすべてガラクタ、それにこだわっても良いけれど、それを現在にどう有益に生かすかが肝心、演劇人の大事な使命のひとつもそこにある。