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鈴木忠志見たり・聴いたり

11月11日 或る男の一日

 西荻窪のマンション、エレベーターは一台しかない。男は初めて隣室の女性と一緒になった。社交好きに見える派手な雰囲気の中年の女性、品は悪くはない。7階から1階まではケッコウ時間がある。女の香水は安物かソウデナイノカ、匂いを浴びせられながら沈黙の気苦労。安い香水ほどよく匂う、男は内心でツブヤイテイル。
 エレベーターは3階を通過、女は口を開く。あなたの音楽の趣味、分裂病かと思っちゃう。クラシックから流行歌、シャンソンと浪花節、メチャクチャなのよね。男は再び内心で、ソウカモネと笑う。二三日前には謡いが聞こえたけど……。
 初対面で分裂病とは! しかしまあ美人、典型的な教養志向の女の物言い、クラシックとシャンソンと浪花節の区別もつくらしい。オクユキがなくても、コンナノニ男はユルイ。内心でハイハイと言っているうちにエレベーターが1階に到着。男はマンションが安普請であることを認識する。
 男は野外劇場で芝居を観る。隣のドイツ人の音楽家が言う。この演出家は分裂病ではないか、音楽の使い方がメチャクチャダ。このドイツ人は日本語が解らない。男は舞台で語られている言葉だってメチャクチャであることを説明する。音楽と同じで言葉もごった煮、手当たり次第に、ソコラヘンから寄せ集めたもの、統一性がマルデない。そこそこ統一されているのは、俳優の演技ぐらい。
 男は思い出す。イタリアのプロデューサーに、ミラノのスカラ座で演出をする気はないかと言われた時のことを。ヴェルディのオペラの主人公が、プッチーニやモーツァルトのオペラを聴いている場面を挿入しても、ダイジョウブカナ? 音楽界はキドッテイテ保守的、そこまではススンデイナイ。それでこの話は終わった。
 男はドイツ人に言う。今の芝居は分裂しているわけではないのではないか。この男は雑学が身上、分裂病という言葉に刺激され、精神病理学者ミンコフスキーが到達した精神分裂病の旧い概念を持ち出す。この舞台の統一感のなさは、「現実との生ける接触の喪失」から生まれたのではなく、むしろ現実への接触過剰欲求の強さからきたのではないか、ソシテ、更に余計な比喩をつけ加える。ごった煮のチャンコ鍋、分裂病の最近の呼称、統合失調症ではなく統合過剰症とでも言うべきかな。
 日本に長期滞在するドイツ人、意外なことにチャンコ鍋は知っていた。あんなもの始終食ったら、ブクブク太ってコレステロールがたまるだろうね。男は言う。しかしそれが日本芸能の伝統らしいぜ。何でもまぜて食っちゃう。風呂敷文化と言っても良いかな。みんな包んじゃってね。
 ドイツ人が最後に一言。演劇は音楽と違って、ウルサイネ。独りぼっちとか、人生の空しさとかは、ナイノカナ。男はやはり内心でツブヤク。音楽にソンナモノがあるのかな。統合失調症の特徴は意欲の低下だが、あの芝居は逆。孤独で空しい人たちだから、意欲を起こして騒いでいたのではないか。
 男はドイツ人と別れる。野外劇場で身体が冷えたせいか、少し下痢の兆候を感じる。それとも、今観た芝居の消化不良か消化過剰か、エレベーターの中で下痢をガマン出来なくなったらどうしようと心配になる。再び、あの中年の女性に会わないことを願いながら、男は家路を急いだ。