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鈴木忠志見たり・聴いたり

12月11日 オソマキナガラ

 いよいよ明日から吉祥寺シアターでの公演が始まる。今年は、「リア王」、新作である「瞼の母」、それに「シンデレラ」。ただし、「シンデレラ」は一般的な公演ではなく、若い演出家や制作者、これから演劇集団のリーダーになるような人たちに向けての企画であり、その一環として上演する。舞台稽古の過程から実際の公演までを見せ、疑問や感想を話してもらい、それを契機に私も私なりの演劇論を語る。そして、ディスカッションをする。今さらなんだかテレクサイところもあるが、随分と情熱的で知的な人たちが集まったらしいから、楽しみではある。ドンナコトニナルカ。
 私の演劇への考え方や俳優訓練方法の実際、あるいは舞台を創る過程に、身近に接する機会は日本ではないのか、とは言われてきた。たしかに外国の大学や劇団では、講義をし訓練をし演出もしたりしている。そのために世界各国では、スズキ演劇の体現者が活躍している。
 スズキ演劇は日本ではなく、アメリカやロシアや中国で生き残っていくことになったね、冗談半分に外国人にからかわれることも多い。実際アメリカでは、ジュリアード音楽院をはじめとして、幾つかの大学の演劇科が、私の訓練法を正規の教育授業に組み込んでいる。最近では中国の舞台芸術大学、中国国立中央戯劇学院、上海戯劇学院の二校が正式に教え始めた。利賀村に長期滞在し、私の訓練を見学したり、SCOTの舞台に実際に演技者として参加した先生や俳優が、指導にあたっている。
 日本にも俳優教育をしている大学や劇団は多く存在するが、私の訓練方法や演劇論を教えるように要請されたことはついぞない。よく噂で耳にするように、スズキ演劇に染まったら他では使い物にならない、というのが日本の演劇界一般の見方、彼らにとっては私の演劇は特殊そのもののようなのである。むろん私の方も日本の演劇人を、世界に稀に見る特殊な人たちだと見なしていたから、接点ができるはずもなかった。
 しかし最近になって、私の演劇観や舞台に、身近に触れてみたいという要望を寄せてくる若い演劇人の声が多くなってきた。時代の移りゆきを感じる。外国の大学や劇団に入ってみて、私のことを知らないことのマズサを感じる人たちも、チラホラ出てきたようである。
 私も正直なところ、いつまでも元気で活動できる保証のない年齢になってきた。まことにオソマキナガラ、なにか上手い機会に、若い演劇人への期待に応える機会がもてないものか、と考えていた矢先、東京都のアーツカウンシルが、吉祥寺シアターの公演の折りにでも、東京の若い演劇人のために演劇教室を開いてみたらどうか、と言ってくれたのである。有り難い勧めだった。こうした日本人への教育事業が、東京の演劇創造活動の環境の悪さに嫌気がさし、利賀村へ活動の本拠を移した私の、演劇人生最後の仕事の一つになるとは思いもよらなかった。
 最終日に2回の一般公演をするのは、演劇教室の関係者のためだけではなく、興味をもたれる一般の人たちにも参加していただいて、その雰囲気を体感してもらったらと、いくらかの席を用意したものである。
 演劇教室で上演する「シンデレラ」の内容は、シンデレラと呼ばれる孤独な少女が憧れ、自分を幸せにする王子などという結婚相手はいないと宣言するものである。そんなことを人生の目的に、ひとりの女性が生きるわけにはいかない。しかし、長年にわたって形作られてきた男性中心社会の価値観の中で、その考え方、想いはどんな摩擦を生むのか、その摩擦の中で生きる心の揺れを劇中劇として展開させたものである。
 この「シンデレラ」は、中国の若者たちにも共感を呼び、来年の春には中国人俳優によって上海で上演される予定である。親子で観劇できる児童劇を創ってみたいというのが、この作品を発想したキッカケだが、思わぬ拡がりに驚いている。