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鈴木忠志見たり・聴いたり

1月29日 続・或る男の一日

 何かユトリのある時間が欲しい、男はレストランの片隅に座ってコーヒーを飲む。外の風景を眺めながら、この平凡なのがイイノサ、内心で呟く。友人の若い男が入って来る。隣のテーブルに席をとり、最新のアイパッドに没入、男を完全に無視。外の景色も見ない。男は再び内心で呟く。モッタイナイネー、この冬景色をアメリカ、キャピタリズムの策謀の犠牲にするなんて。男は孤独とはこんなものか、とあらためて思う。
 突然、入り口に華やかな笑い声、若い男女が数人、賑やかに入って来る。そのハシャギカタ、どうやら日本人ではない。友人がチラッと顔を上げる。男は話しかける。
 ヨーロッパ、特に北欧系の人の肌は、やはり白いね、日照時間が少ないとソウナルノカナ。ソウカモネ、若い友人はソッケナイ。そういえば最近、アメリカ人にあまり白い人を見かけない。ヒスパニックや黒人、それにアジア人も多くなったからかな。
 だからアメリカ人のことは、ハクジンではなく、ガイジンと言うんですよ。ウルサソウに答え、再びキャピタリズムの策謀の渦中に埋没。男は孤独に帰る。そして思う。自分はハクジンでもないし、ガイジンでもない。
 萩原朔太郎の夜汽車の一節が心をヨギル。空気まくらの口金をゆるめて、そっと息をぬいてみる女ごころ、ふと二人、かなしさに身をすりよせ、しののめちかき汽車の窓より外をながむれば、ところもしらぬ山里に、さも白く咲きていたる、をだまきの花。
 駆け落ちする女もいない……。席を立った男に、会計の女がホホエミながら釣銭を渡す。男は不景気な気分で呟く、株価は上がってもな。ウエイトレスのホホエミも侘しい。
 凍てついた道がはるかに続く、その上に積もり始めた純白の雪、転ばぬように踏みしめながら家路につく。ヨーロッパは履きつくした靴底だ。男は考える。踵のあたりが斜めに擦り減っているのは、歩き方がクセッポカッタ。良い皮の靴だけど、いつまで履いているつもりかな。
 家につくと、靴底に付着した雪はシツコイ、剥がすのに時間を取られる。古い靴を後生大事と履き尽くすのもいいが、その先がない。若い男がアイパッドに夢中になるのも仕方がないか。ヤツの靴は安っぽいスポーツ用品、マルデ、靴のことなど気にしていない。軽薄な奴だ。玄関の框に腰を下ろして、大事にして履いてきた自分の革靴をしみじみと眺め、濡れた部分を丁寧に拭きとる。
 男は台所に行き、コーヒーをいれる。いつものように一人、食堂の椅子に座りホットする。そして、有名なヨーロッパ人の言葉を呟く。
 いずれにしろ、確かなことは、こうした状態では時間のたつのがまことに長く、したがって、われわれは暇をつぶすのに、一見合理的に見えるが、すでに習慣となっている挙動を行わざるをえない。それは、われわれの理性が、沈没するのを妨げるためだというかもしれない。それは確かに言うまでもない。しかし、すでに理性は、大海原の底深く、永劫の闇のうちをさまよっているのではなかろうか。