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鈴木忠志見たり・聴いたり

2月26日 新・或る男の一日

 男は思った。これは4年に一度のことだからな。そしてすぐ自分に言い聞かせる。一生に一度のことかもしれないのだ。隣の部屋では女房が、ウルサイ、ネラレナイヨー。興味がないということは、眠気を跳ね返す力をあたえない。亭主の気持ちにたいする共感もない。30年も連れ添ったのに、まあ仕方がないか。こんな調子では、いずれ歳をとったら粗大ごみ扱いだな、男は音量を小さくし、顔をテレビに近づけ凝視する。そして冷たくなったお茶をゴクリ。
 今年の選手はよくヒックリカエル。テレビのコメンテーターが言う。これがオリンピックの魔力です。バカバカシイ。高度な緊張が精神と身体のコントロールを狂わすに過ぎない。実際にフィギュア・スケートの上位の入賞者は、そうヒックリカエッタリはしていない。よくヒックリカエッタのは日本人選手、ショートに出場した女子はそうだった。
 ショートの時は、その才能の片鱗も出せなかった浅田真央、フリーでは頑張った。演技中の必死の顔と終了直後の涙、そして笑顔、カワイイ。日本人の大好きな女の典型だと男は思う。そして、ツブヤク、この子はいつまで経っても真面目さが、トリエダナ。
 しかし、真面目すぎると技術の正確さと純度にコダワル。ニッポンジンは俳優でも演奏家でも、技術的にはすぐ高度なレベルを習得する。偏差値教育の成果と同じ。記憶を思い出したり応用したりする知的技術、用意された問題を整理するのは得意、しかし、それが人間の魅力を生み出すこととは関係がない。優れた技術的な能力と、自分の人間としての魅力を構成して見せる力とは別のもの。それが身体の世界の芸術度。その両方を身につけるのはなかなか難しい。
 キム・ヨナの生意気な目付きと表情のない顔、それでいて演技中はしなやかな身体から色気を出す。これはフリョウダ、身体から滲み出る自分の魅力を自覚して、優雅にウッテイル。マジメナ真央とは対照的。男はいままでこのフリョウの魅力が好きだった。しかし今度は引き裂かれ迷っている。ドッチニ、シヨウカナ。キム・ヨナの色気もトウガ、タッテキタシ、意識し過ぎてマンネリかも。
 いつの間にか女房が後ろに立っている。ドッチガ、カッタンダイ。キム・ヨナに決まっている、真央はショートで失敗したんだから。じゃあキム・ヨナが一番かい。一位はロシア人だよ、へえー、じゃあ二人とも引退だな、そしてトイレに行き大声で、ワタシハ、ネルヨーと部屋に戻る。無責任な発言をしやがって、ワタシハ、とわざわざ言うところがイヤミ。オレモ、ヨクツキアッテキタ、お茶ぐらい入れたらどうだ、と思うのだが口には出せない。
 男はドット疲れを感じる。時計は朝の5時、久しぶりに不思議な時間を過ごした。これだけ集中できれば、オレモ、マダマダワカイ、男は年寄りになった証拠ともいうべき納得の仕方をして、ベッドにもぐり込んだ。