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鈴木忠志見たり・聴いたり

2月27日 トロイアの女

 今月の16日にインターナショナルSCOTの「建築家とアッシリアの皇帝」の稽古が一区切りした。劇団員はそれぞれの国へ帰った。昨日は中国の劇団の「マクベス」の稽古が終了。明日は北京に帰ってしまう。両方とも夏のシーズンに発表する公演の準備稽古。朝の10時から、夜の10時まで、食事以外の時間は稽古をしていた。
 3月に入ると、同じように稽古をしていたSCOTの劇団員も、三々五々と休暇に入る。昨年の秋から今月まで、ずっと忙しかったから、オツカレサマである。しばらくすると、私一人だけが利賀村に残る時がくる。その時は、独りで何をしようかなどと考え始めたが、こんなことは久しぶり、チョット、サビシイカナ、などと思ったりしている。
 それにしても、今冬の寒さは厳しかった。雪は例年に比べて少ないのだが、少し油断をすると、炊事場や風呂場の水道が凍って使えなくなる。飼育している貂や狸や穴熊の桶の水も、底まで完全に凍っていることが多かった。毎朝お湯を注いで溶かすのに苦労。
 しかし、そんなことにだけ多くの時間を費やすわけではない。一日は24時間、そのうちのホンノわずかな時間である。独りになったら、2階の窓からボンヤリと外を眺めていることもあるか、などと思ったりする。雪が少なかったといっても、まだ2メートルは積もっている。楽しみがないわけではない。
 窓の外は凹凸はあるにしろ、一面はゆるやかで滑らかな白、実に優雅な雪景色。朝起きて、その純白な地面を眺めると、いろいろな形の窪み、動物の足跡があって、ケッコウ、アキナイ。鹿の足跡は2つ、兎や狸は4つ、貂は5つだが、後足と前足の歩幅はそれぞれに違う。貂は前後の足跡が少し重なるので、遠くからは一本足の動物のそれのように見えたりする。それに直線で歩くだけではなく、行ったり来たり、グルグルと円周を描いて遊び回ったような足跡のこともある。それも必ずしも一匹とは限らない。自分は動物と共生していることが良く分かる。
 今年のSCOTサマー・シーズン、いよいよエウリピデスの「トロイアの女」、私の名前を初めて世界的にした舞台を再演することにした。ほぼ25年ぶりである。少し遠ざかり過ぎたので、もう一度戯曲を丁寧に読み直すことを考えている。「トロイアの女」は1974年、私が34歳の時に、東京神田にある岩波ホールで初演している。当時の岩波ホールの総支配人高野悦子さんの要請で、私は芸術監督に就任した。その時の第一回公演であった。
 出演者はSCOTの劇団員、白石加代子、蔦森皓祐などの他に、能の観世寿夫、新劇の市原悦子が加わっている。古典芸能の源流である能、ヨーロッパの影響の下に誕生した日本の現代劇の主流である新劇、国際化時代に対応する新しい日本の演劇スタイルの確立を目指した現代前衛劇、それらを代表する俳優の競演であった。異なっている表現世界の演技が舞台上で実際に出会う、演劇史上の初めての試みで、当時としてはタイヘンな話題を提供した。観客の動員数も見事なものだった。もちろん、舞台の話題性だけがそれを実現したのではない。アカデミックで、オカタイ出版社、日本社会の近代化の重要な一翼を担った書店が、演劇の興行にかかわったことへの社会的な興味にも支えられていたことは言うまでもない。
 今度の「トロイアの女」、果たしてどんなことになるか、社会状況も私自身の演劇への考え方も、当時とは大きく変わっている。鮮やかな変身を遂げて、観客の皆さんに刺激を与えるような舞台ができることを願っている。この3月の独りの時間は、その心の準備のためのものになるのかもしれない。