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鈴木忠志見たり・聴いたり

4月29日 遠い

 21日の夜に利賀村を出る。東京に泊まり、翌日22日の午後12時に成田空港を発つ。5時にモスクワに到着、8時からシャドリン夫妻、マイヤ・コバヒゼなどと夕食。時差は5時間あるから日本時間にすれば深夜の1時である。翌日の演出家リュビーモフの祝賀会の打ち合わせ。
 二人とは2001年にモスクワで開催されたシアター・オリンピックスから親しくなる。この二人の力でモスクワ開催が実現した。私の劇団とシアター・オリンピックスの事務局長をしていた、今は亡き斉藤郁子の良きカウンター・パートだった。シャドリンは当時、ロシアの国際演劇協会の専務理事、現在はプーチン大統領の文化政策委員をしている。マイヤ・コバヒゼは愛嬌豊かな女性、当時は文化映画庁の芸術局長だった。リュビーモフはシアター・オリンピックスのロシアを代表する国際委員である。
 翌日の12時から、私の人生よりも長い、リュビーモフの演劇生活80年、また、彼が創設したタガンカ劇場50周年を兼ねた祝賀会が始まる。残念なことに彼は病気入院中で出席していない。私は彼の戦闘的な精神にどれだけ励まされたか、感謝の言葉を短く述べた。その後しばらくは、ロシアのみならずフランスやイタリアからの出席者のスピーチを聞く。休憩時間にシアター・オリンピックスの委員長でギリシャの演出家テオドロス・テルゾプロスと、今年の11月に開催される北京のオリンピックスについて懇談。
 昼食後4時にモスクワ市内を出発、空港に向かい8時に離陸、リュビーモフとは二度と会うことはないだろう、機内で少しの寂しさを味わう。成田空港に翌日24日の10時過ぎに到着、すぐ羽田空港に移動し、午後1時の飛行機に乗り、利賀村へは3時半頃に帰る。こういう日程で外国へ行ったのは初めてである。ホテルと飛行機のなかでズット寝ていた印象。
 もうずいぶんと昔のことだが、利賀フェスティバルの初期に、ドイツのプロデューサーが自分が招待する私の舞台、「トロイアの女」を見ておかなければと、フランクフルトから利賀村に来たことがある。夕方の6時に着いて、8時から野外劇場で始まった舞台を観劇、翌日の6時に利賀村を発ち、ドイツに帰って行った。別れ際に彼は言った。ずっと飛行機に乗って、世界の果てにまで来たような気がした。
 利賀村はホントウニ遠い。私も体調の良くない時には、東京への往復でも、ソノヨウニ感じることがある。今回モスクワを往復してみて、ドイツのプロデューサーの言葉を実感をもって思い出した。しかし考えてみれば、この遠さをモノトモセズ、何度も私の舞台を見に来てくれる国内外の人たちがいるのである。
 利賀村へ帰ったその日の夜から再び、中国人俳優たちと上海公演「シンデレラ」の稽古を始めたが、今日あたりはヤハリ、少し疲れも出てきた。それがかえって、観客の人たちの決意と労苦に思いを誘い、私を改めて励ます感じである。そして、私の演劇人生はまだ60年弱なのに、リュビーモフの演劇人生にどこまで迫れるかなどと、バカなことを思ったりするから、オカシイ。