BLOG

鈴木忠志見たり・聴いたり

5月15日 久しぶりの想い

 自由とは偶然を必然のようにしてしまう意識だ、トカナントカ言った人がいたが、私のような職業では、ソウ、カンタンなことではない。論理性のない偶然だらけの現場だから、むしろ、対象との関わりを必然のようにしようなどとする心掛けを捨てるのが、精神衛生上には手っ取り早いと感じることも多い。
 演劇作品の生成過程は偶然の連続、むろん、その偶然の中に大発見に連なるものもあるが、ソコハソレ人間関係の世界、何が起こるかは予測できない。しかも大方の偶然は、弛んだ日常の人間関係から生起してくるから、濃密な集中力のある空間を現出させようとするには、ソレナリの気力が要る。偶然性に柔軟に対応する強いエネルギー、それを振り起こさなければ惰性に負ける。或る種の<タマフリ>魂振りが必要である。
 久しぶりに早稲田大学の大隈講堂の壇上に立つ。早稲田大学主催のトーク、かつて私の劇団が建設したものと同名の劇場<早稲田小劇場>を、早稲田大学が再建することになり、その起工を記念してのトークショーに招かれたのである。
 劇場は来年の春に完成する。むろん私は、大学在学中に演劇活動の経験のある鎌田薫総長から、名称の使用を直接に申し込まれ、喜んで承諾したが、劇場の設計や建設後の運営方針などには、何も関わってはいない。私が再び新しい早稲田小劇場に関係するかのように思っている人たちもいたようだが、それは誤解である。
 多数の学生から質問を受ける。彼らと私とでは、演劇という言葉からくる実体的な像が違う。むろん、日本の演劇人の大半とも、私の演劇に対する接し方は違っている。だから予測できなかったことではないが、多くの質問は私の演劇とは関係のないこと、日常の偶然に出会っているような印象だった。そして日本人の演劇像は、趣味的な行為のそれに近くなっていると感じた。演劇という文化的な制度が、国家や宗教あるいは政治や犯罪などについて、その問題点を考察するために存在してきたとは考えられてはいないのである。話題は小さく元気がない、日本人は、ヘイワボケ、カナ?
 大隈講堂の一階席は満員、二階席にもチラホラ聴衆がいる。ウッカリスルト、全員で元気がなくなる、そして会場全体の雰囲気は沈む。私はエイヤ! と魂振りをして、デカイ話をした。演劇は共同体の娯楽=宴会芸能であってはいけないと。
 私にとって演劇とは、日本と他国との関係について考え、日本の独自性とは何かを究明するためにあった。集団と身体と言葉、これらに身を浸しながら、自国の人だけではなく、他国の人にも接することのできる演劇活動は、日本の在り方や自分の生き方について、コレデ、ヨイノカ! と議論する形式の一種であった。演劇はギリシャ以来二千数百年、ヨーロッパでは社会的混乱が激しくなると、人々に必要とされるコミュニケーションの形式として活性化した。私はこういう社会的表現活動の在り方の一つを選択したので、音楽や美術などと同じような、個人的な芸術活動だと考えているわけではない。
 日本の現代演劇の社会的な地位は低い。EU諸国は言うに及ばす、アメリカやロシアや中国や韓国ですら、国公立の劇場と劇団は存在する。それに付属の教育機関がある。例えば、フランスのコメディー・フランセイズやロシアのモスクワ芸術座は、国立劇場であるが、施設を意味するわけではない。この名称は劇団や演劇人を養成する芸術機関のことで、日本の新国立劇場のように建物だけがあるわけではない。
 もう何年前になるか、南京で国際演劇協会の大会が開かれた。そのオープニングに「シラノ・ド・ベルジュラック」の上演を依頼され、南京前線大劇院という名前の大劇場で公演した。その劇場は中国共産党の軍隊の劇団の専用施設、俳優から劇場のスタッフ、事務局員までが勲章を胸につけていた。ナンノタメニ、ナゼ、ナイヨウハ、と興味をそそられるが、演劇活動が思わぬ所にまで浸透しているのには驚く。日本の自衛隊が劇場を所有し、演技の訓練をしている図は想像できないのである。
 日本には、公的な演劇人専用の劇場も、演劇の専門家を育てる本格的な教育機関もない。演劇は未だ、国家の文化政策の対象外に存在するの感を免れない。多くの先進諸国で、国家の精神的な基軸の形成に、議論を通して関わってきた演劇、日本ではそういう演劇活動の姿は消えている。
 早稲田大学の今回の劇場建設が、歴史的かつ国際的な文脈の中で、演劇活動の本質を活性化させることに貢献できることを想う。