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鈴木忠志見たり・聴いたり

5月25日 泣いちっち

 1964年<昭和39年>東京オリンピックの入場式は中目黒の電気屋の店頭で見た。ようやくテレビが普及しだした頃だが、私はまだテレビを購入していなかった。世界にはこんなにも姿形の違う人間がいるのかと、恥ずかしながらチョット涙が出た。スポーツ競技自体には、それほどの興味はなかったが、世界からこの日本に、多くの人たちが集まり一緒に居る、このことにイタク感激したらしいのである。他愛のない話だが、この性向は今でも変わらない。色々な国の人と居ると日本人とだけよりはシミジミと元気になる。外国や外国人に憧れがあるということではない。日本にウンザリすることは多いけれども、外国の特定の国を日本より好きだと思ったことは一度もない。ともかく、シミジミと元気になるのである。
 今から50年前の東京オリンピックを境に、日本の社会は大きく変わったと言われる。新幹線の開通もこの年である。オリンピックを招致開催できる大都市が、日本に出現したのだから当然のことだが、その10年前に、日本の社会の人口構成は大きく変わった。第二次大戦終了後から10年を経た1955年には、日本の都市人口は農村人口をすでに越えてしまっている。1960年代の経済の高度成長期には、都市人口は日本の全人口の70%を越える。第一次産業<農業、林業、漁業>は衰退し、日本は都市型工業社会に転換したのである。
 この頃から日本の民族大移動、日本海側や四国などの山村から太平洋側の都市への人口移動が激しくなる。秋田県などは年間5,000人もの人口流出があった時がある。その結果、全国各地に過疎と呼ばれる地域が出現した反面、日本は教育の画一化に成功し、経済大国を形成する規格型の産業戦士が大量に生産された。そして日本は、つかの間の経済大国になる。
 2020年には再び東京でオリンピックが開催される。この間54年、60歳以上の人だけが、この二つのオリンピックを肌で経験することになる。10年ひと昔ではなく、3年ひと昔の時代に、6年も先のことを予測するのはとても難しいが、はたして再び、多数の外国人の存在を新鮮に感受し、その来日を感激して受け止められるのかどうか。シミジミと憂鬱になるようなことのないのを願うのである。1964年の東京オリンピックの開催に、日本中の国民の殆どの心が興奮していた5年前、一方ではこんな流行歌も歌われていた。
 僕の恋人、東京へ行っちっち、僕の気持ちを知りながら、なんでなんでなんで、どうしてどうしてどうして、東京がそんなにいいんだろ、僕は泣いちっち、横向いて泣いちっち、淋しい夜はいやだよ、僕も行こう、あの娘の住んでる、東京へ。
 浜口庫之助作詞作曲の「僕は泣いちっち」の歌詞である。なんともストレートで笑えるし、なぜこんな歌が流行したのか、本当だったのかと、今にしては不思議な感じのするものである。2番の歌詞によると、結局この男は地域に残り、お祭りなんか嫌だよ、僕は思う、遠い東京のことばかり、と自分の気持ちを淋しく告白するのである。
 これから来る社会での行動的な女性、あるいは時代の雰囲気に乗り易い女心を思わせられる一面もある歌だが、いずれにしろその反面、男はこれからの人生の淋しさに耐えなければいけないよ、と50年前の流行歌に忠告されているような気もして面白い。