BLOG

鈴木忠志見たり・聴いたり

6月27日 ヘカベの言葉

 もうそろそろ書いてください、事務局の女性に催促される。確かに今月はまだ一回。少し疲れてね、ネタを探すのもタイヘンなんだよ、と怠け心の弁解。実際もう4年以上も月に3回は欠かさずに書いてきた。何を書いたか自分でも思い出せないぐらい。一覧表を見ても執筆した文章の表題と中身が結び付かない。約束ですよ、夏の宣伝、と念を押される。
 こんな山の中の活動は、ネットでも使って宣伝しなければ誰も見向きはしません、それはチュウサン(劇団員の私への呼称)の役割ですから、ダト。もう昔のコトだが、私も田中角栄元首相が地元の新潟県の人たちに、公共事業の陳情をされた時に言ったといわれる言葉、ヨッシャ、ヨッシャを連発して引き受けた記憶はある。
 霞ヶ関のことなんかどうでもいいですからね。前回書いたブログ「激甚災害」のことらしい。残りの2本はウチ=劇団のことにしてください、残りは4日ですよ。よほど気になるのか余分なことを言う。私にとっては「激甚災害」だって、利賀村の宣伝のつもり、芝居よりも利賀村がどんな所か、興味をもって貰うのも大切なこと、ナノダ。
 今年のSCOTサマー・シーズン、私の演出作品が4本もある。ひとつはつい先頃、上海で上演した中国人俳優による「シンデレラ」、それにSCOTの劇団員総出演の「シラノ・ド・ベルジュラック」、「トロイアの女」、「からたち日記由来」、である。「トロイアの女」の初演は私が35歳の時、40年も前である。当時そのままの演出を、再現する気持ちにはならないのだが、さりとて、原作の主要な部分の台詞は同じように使用している。一度は上演したものを新しく見直す稽古は、苦労の連続である。
 岩波ホール演劇シリーズ第一回で公演したこの「トロイアの女」、トロイアの王妃ヘカベが主役である。トロイアが落城し、成年男子ことごとくが殺害された後に、女性たちは奴隷としてギリシャに連れてゆかれるために一カ所に集められる。トロイアを去らねばならぬその直前、燃え尽きたトロイアの城を眺めながら、王妃ヘカベは一族の非運と女性たちの不幸、さらにはいつの日かのトロイア再興への思いを語るのである。
 このヘカベの台詞の数々が気に入って、私はエウリピデスのこの戯曲を演出する気にさせられたのだった。特に松平千秋さんの翻訳が名訳・名調子、神西清訳のチェーホフのそれと同じように、声を出して大声で語りたくなるようなもの、と言うより、名優によって聴かせてもらいたいと思えるものだった。
 ギリシャ人らよ、そなたらの槍の誉れは高くとも、心ばえはとてもそれには及ばぬと見える。全体、この幼い子どもの、どこが怖ろしいといって、またしてもこんなむごい殺し方をしたのじゃ。この子が亡んだトロイアを、いつか建て直すとでも思ったのか。ヘクトルの運がまだ尽きず、なお幾万の軍勢があってすら、われらは戦いに敗れたのに、城は落ち、ブリュギア勢も潰えた今も、これほどの幼な子を怖れたとあっては、さてさてギリシャ人の面目は丸潰れではないか。理りもなく怖れるのは見苦しいことじゃ。
 いつだったか同じく、トロイアとギリシャの戦争に材をとった、ハリウッド製作の「トロイ」という映画を見たことがある。アメリカ映画の常套、例によって戦場にもかかわらず、甘ったるいラブシーンが度々と出てきてマイッタ。それも敵同士のソレである。しかしそれよりも、トロイアの領主プリアモスは登場しても、王妃ヘカベはチラッとしか顔を見せず、一度も喋らないのにはガッカリした。
 上記のヘカベの言葉は、ベトナムやイラクやアフガニスタンなどの弱小国を爆撃し、無数の一般市民を殺害しまくりながら、自分たちは世界の警察官であるかのような言動を繰り返すアメリカの指導者にこそ、必要とされるものではあるまいか。