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鈴木忠志見たり・聴いたり

6月28日 アジアの拠点へ

 久しぶりに朝寝坊をした。劇団の食堂ボルカノは終わっただろうからと、一人で食事をする。そこへ台所の裏口から事務局長が入ってくる。シツレイ、シマース、昨日アップしたブログのコピーを手にしている。すぐ私の所へ来るかと思いきや、私もコーヒーを戴きます、と台所からの声。しばらくして、左手にブログのコピー、右手にコーヒーカップを持って私の前の椅子に座る。ソロソロ夏が来ましたね、トカナントカ。
 こういう時は、タイテイ何か注文がある。私はその気配をかわして窓の外を見る。この時間は池の向こう、山裾でタヌキがコチラを見ながらウロウロする。動物も子供の頃は可愛いけれど、大人になるとどうもね、トカナントカ。
 おもむろに事務局長が口を開く。昨日のブログは、コレハ、コレデ、イインデスケド、ゼンタイトシテノ……私は遮って、他の演目のことも書かなければな、特に今年はアジア芸術祭が始まることだし。よろしくお願いします。さすが年の功、余分なことは言わない。イッキにコーヒーを飲み干し、帰っていった。
 私も今夏の企画の特徴を何か書かなければとは思っていた。しかし、SCOT倶楽部の会友にはすでにチラシも郵送されたようだし、ホームページにはプログラムが詳しく紹介されている。それに私のブログを見るような人に、いまさら宣伝もないだろうという気もしたので怠けたのだが、ただ一言すれば、この利賀村の存在を、アジアの文化拠点として広く知らしめたいとする気持ち、それを具体的にする第一歩を踏み出したのが、今夏の企画だとは思っている。
 中国や韓国との政治的緊張は今後も高まることが予想される。そういう中で、この利賀村の活動の素晴らしさは、中国や韓国の人たちにも浸透し、羨望とともに民族、国境を越えた財産として支援される対象になってきたような気もしている。それぞれの国で、これから重要な役割を担うだろう文化界の人たちが、続々と集まりだしたから感じることである。
 利賀村での活動は今年で39年目になる。つくづくと、持続は力なりという言葉の真意を噛みしめている。はたしていつまで、利賀村が日本という国を越えて、愛され尊敬される場所として存続するのか、廃墟にしないためのあらゆる工夫はしなければならないだろう。
 利賀村での催しはすべて、入場料の設定はしていない。好きなものを好きなだけ観ていただきたいし、利賀村に少しでも長く滞在し、この環境の素晴らしさを体感してもらいたかったからである。日本にもこんな所が在ったのかと。
 昨年から始めたこの方針、多くの人の賛同を得て有り難かった。私たちの活動への期待を改めて感じたし、一面では大きな責務を背負ったと、身の引き締まるところもある。この期待に、ドコマデ、イツマデ、応えられるのか定かではないが、ともかく全力で疾走する以外に術はないと覚悟はしている。
 正直に言って、いままでの38年間には幾度か、逃げ出したい気分になったことはある。しかしその度に、この僻地ともいうべき場所に、日本のみならず世界各国から来てくれる人のことを思い、踏みとどまることができた。そういう点からすれば、この利賀村での私の活動は、これまでに来村してくれた人たちが支えてくれたのだとも言える。
 たった一人でもいい、お前の活動は自分の人生の励ましになっている、と言ってくれる人が居れば、逃げ出したいなどという気持ちは二度と起きないだろうと、今は思える。