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鈴木忠志見たり・聴いたり

7月15日 いろいろな国柄

 若い時に身体に覚えさせた動きは、年を経ても再生される速度が速い。しかし、ある年代ぐらいから覚えたものは、思い出すのに時間がかかる。と言うより、その動きを再生させたつもりでも、微妙に狂いを生ずることが多い。特に時間の経過があった時はヒドイ。
 昨年の冬、凍てついた道路に滑り、強く腰を打ち半年ほど歩けなかったことがある。もう殆どその後遺症はないのだが、用心のために好きな油圧式ショベルカー、通称ユンボには今まで乗らないでいた。そろそろ大丈夫だろうと、昨日久方ぶりに動かしてみた。飼っている動物のために、大きな自然運動場を造ろうと作業を始めたのである。
 地面を掘るのにも、盛り上げた土を平らにするのにも、実に繊細さを欠いてメチャクチャ、揚げ句の果ては、ショベルの部分を振り回し過ぎて立ち木に衝突、大切にしていた栃の木の幹を傷つける始末。おおよその記憶で手足を動かし過ぎ。こういう時は、いったん休むのが良いと切り上げることにした。
 その故か昨日とくらべ、今日のユンボの操作は実に円滑、時間の経つのを忘れて夢中になる。年をとったら時間をかければ良いのだ、チャント記憶は蘇える、などと自分に言い聞かせて調子に乗り過ぎる。結構な時間の作業をしてから、稽古場に行き座る。俳優に演技をつけようと急に立ち上がったら、腰の辺りがギクッとして上手に動けない。ショベルカーの振動が腰骨の関節に影響を与えている。ナサケナイ。早々に稽古を切り上げ、寝室のベッドでゴロゴロ、こうなったら手元に散らばっている本でも読む以外にはない。
 久しぶりに週刊誌ニューズウィークを読む。面白いがビックリする記事に出くわす。アメリカには(投票者教育・不正緩和プロジェクト)という活動があって、演劇を通して紛争解決や教育に取り組むのだそうである。ここまでなら驚かないのだが、このアメリカの団体、先頃のアフガニスタン大統領選挙の投票前に、反政府勢力タリバンが支配する村々を回り、投票に行きましょうという演劇を上演してきたという。
 この舞台の内容がケッサクである。女性や少女が集まっている所に一人のインテリ女性が現れ演説をする。投票に行きましょう、アフガニスタンの未来は変えられる。すると集まっていた女性たちは答える。家族の男が許してくれない、投票所には見知らぬ男性がいるから。
 こういう演劇をわざわざ紛争中のアフガニスタンにまで行って上演するアメリカ人の意識には、その目的を果たすためには演劇活動でなければならないのか、という疑問も覚えないわけではないが、また、見知らぬ男がいるから女性には選挙の投票所には行かせない、というのも日本人にとってはもはや、相当の距離がある光景である。しかしひるがえって考えれば、これが流動している世界の現実の一端であり、われわれ日本人が日々の生活の中で、世界的に常識のように感じている日常の意識こそ、特殊なものかもしれない、と想い返す必要もあるかもしれない。
 私が演劇を始めた20代の頃、友人の唐十郎に尋ねたことがある。何で大学で劇団に入ったのかと。オンナノコと話がしたくてさ、劇団にしかイロンナ女が居なかったんだよ。
 私が大学時代に劇団に入った理由とは違うが、その気持ちは分かる。私も劇団に入って、これほど違う人類がイロイロと居るということを、オンナノコに勉強させてもらったのである。
 しかし私の高校生の頃は、女子生徒を喫茶店に誘った友人が、校長室の前の壁面に名前を大書され、厳重注意を受けた時代である。アフガニスタンのタリバン政権は演劇活動を禁止していたという。そのアフガニスタンで演劇が再び活発になったらしいが、男と女の関係はどうなったのか、興味が湧くところである。