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鈴木忠志見たり・聴いたり

7月18日 神も仏もない

 寸鉄人を刺す、という言葉がある。寸鉄とは小さい刃物や武器の事だが、短いが適切な評言や警句によって、他人の急所を衝く時に使われる。長いこと演出活動をしてきたから、舞台を見た後で、いろいろな感想や批評を観客から聞かされてきた。言われて嬉しくなることも、イヤナ気分にさせられることもあったが、短い言葉で意表を衝かれたり、自分が考えていた以上に、演出の意図を表現した言葉を語られ、ナルホドと感心させられたこともある。
 オーストラリアのシドニーに、貝殻の形を思わせるように、海に突き出て建つオペラハウスがある。オーストラリア建国200年にあたる1988年、このオペラハウスで盛大な文化行事が開催された。日本からも幾つかのパフォーマンスが参加したが、この時の日本側のスポンサーは三井グループ、委員長は三井物産の会長で経団連副会長の八尋俊邦さん。私はそこで「トロイアの女」を上演した。
 公演終了後、劇場のロビーで盛大なパーティが行われた。私はワイングラスを片手に八尋さんと並んで立っていたのだが、突然八尋さんが私に向かって言ったのである。今日の芝居は、戦争になると神も仏もないということだな。
 この「トロイアの女」は私の若い頃の代表作の一つとして、初演から20年間に15カ国34都市で上演されているが、アジア諸国での公演は殆どなかった。ただ一つの例外が、チョン・ドゥファン軍事政権時代の韓国である。韓国独立後の日本の劇団の初めての訪韓だったとのことでもあった。
 欧米に比べてアジアの演劇界が、この作品に興味を示さなかったのには理由があったと思う。原作がギリシャ悲劇作品だということ、主題は戦争の悲惨さだが、その悲惨さが個人の問題としては、それほど身近なものとして描かれてはいないということである。描かれているのは、一民族国家の消滅、それを王妃ただ一人が嘆き語り続けるということだったからである。劇あるいはドラマとは、敵対する個人や集団との闘争の形に在るとするのが、当時の大方の演劇観である。その観点からすれば、戦争がすべて終了してからの状況の一様相が描かれているに過ぎないこの戯曲は、ペシミスティックで退屈な戯曲のように見做される傾向があったのである。
 この戯曲の主人公は「トロイア」の王妃ヘカベだが、私は原作にはない人物を、もう一人の主役として舞台上に登場させた。一時間強の上演時間中、ヘカベとは対照的に一言も言葉を発せず舞台中央に立ち続ける人物、ヨーロッパの神像とも日本の菩薩像とも受け取れる神像を配置したのである。むろん、この像は俳優が演ずるし、言葉は語らなくとも若干の動きはする。しかし基本的には、舞台上に展開される悲惨な事件を、ただ無言のうちに見つづけるためだけの役なのである。この演出が、ヨーロッパの観客に刺激を与えた。「トロイアの女」という戦争の絶望的な状況を告発していた戯曲が、宗教批判の演劇にも変身していたからである。
 第二次大戦中には一般市民が大量に殺戮された。それは日本でも同じである。この時ほど世界中の人たちが宗教の無力を感じたことはないだろう。世界的に強大な影響力を持つとされる普遍宗教界、それが戦争を回避するための有効な手立てと行動を示せなかったことは、ナチスによるユダヤ人や原爆投下によるアメリカの日本人の大量虐殺に例をとるまでもなく、人間世界に夢を抱いていた人たちを慄然とさせた。ニンゲンガ、ナゼココマデ! 精神世界のそれまでの規範が、この時代に顕著に崩落したのである。しかも、悲惨な状況に在る人間の努力や忍耐、それを救い上げてくれるはずの神を創造した宗教が、政治権力の争いや民族間の憎悪にいかに無力だったか、そればかりかむしろ、火に油を注ぐような役割をしたことも明らかになったのである。
 戦争になると神も仏もないということだな。この一言ほど私の意表を衝き、かつ私の演出意図の本質の一面を上手に言い表してくれた言葉はなかった。「トロイアの女」を再び演出しながら、財界人とはいえ八尋俊邦さんの視野の広さを懐かしく思い出すのである。
 八尋さんは私よりはずっと年長であった。こういう言葉をスッと言えたのも、第二次世界大戦での日本の悲惨な状況を生きて体験していたからであろう。今や日本の財界人から、こんな言葉が二度と口にされることはないだろうと思える。