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鈴木忠志見たり・聴いたり

8月20日 妄想

 私が別役実、斉藤郁子、蔦森皓祐らと共に、早稲田大学の正門近く、新宿区戸塚町に早稲田小劇場を建設し、同じ名前の劇団を結成したのは1966年のことである。その後この劇団は1976年に、活動の拠点を利賀村に移し、劇団名をSCOT<Suzuki Company of Toga>と改称し現在に至っている。
 早稲田小劇場を結成した1966年を劇団の誕生日と見做せば、SCOTは今年で49年目の歴史を迎える。来年は50年、まだしばらくは、活動を持続できる可能性があることを考えると、劇団としては相当に長い時間を生き延びることになる。半世紀を越えるのである。
 現在の利賀村の地には、劇団が借り受け、専用的に使用している劇場が六つある。今や利賀村の人口は600人弱だが、人口100人に一つの劇場が存在する珍しい村になっている。しかもその劇場は、どれをとっても日本が世界に自慢できるユニークなもの、アメリカの演出家に言わせれば、世界演劇界に奇跡が起こっているのだそうである。
 ずいぶんと昔だが、作曲家の三枝成彰とシンポジウムに同席したことがある。彼は劇場とは人口の多い都会に存在すべきものであることを力説していた。多くの観客の存在と収益性を前提にしての発言である。私が活動の拠点を過疎村に移したことを、意識した発言でもあったと思う。
 劇場とは人口が密集する都市が必要とするという視点は、たしかに近代市民社会が成立して以降の一般常識であろう。人間関係が緊密になり、理解不可能な人間的行為、犯罪などが頻繁に身近に起こり、人間関係とはどんなものであり、どうあるべきかを問う必要性が生じ、その役割の重要な一端を劇場が担ったことを、私も否定はしない。またそれのみならず、演劇が抑圧的な人生からの、一時的な解放を楽しむ娯楽の形式としても成立し、劇場が経済的な利益をもたらす活動の拠点になったことも認めるのである。
 しかし、演劇活動の社会での役割はそれのみではない。人間集団を支える精神と国土のバランスや豊かさ、それを維持するために重要な働きをもするのである。利賀村の劇場群はそういった社会と演劇活動の関係を踏まえて誕生したものである。それはかつての宗教心の涵養や教育の場、あるいは医療施設がそう在ったと同じように、都会地とは対照的な自然環境と共存できる場所に、それらの施設は存在すべきだとした視点と通じる。
 人間を人間たらしめてきた精神活動、その極度に人工的かつ必然性を追究する主観的な行為は、偶然性を本質とする環境=自然と共棲して、初めてその価値を確認できる。人間とはどういう存在なのかを客観視するためには、人間が人間だけを意識することの不充分さを認識させるからである。
 歴史的に見てもこれらの施設は、そこで行われる活動に接しやすい場所や、経済効率を基準にして収益可能な地域に設置されてきたわけではない。便利さと経済効率を優先する価値基準は、人間の生命力を退化させる元凶。宗教や教育や芸術はこの事実を踏まえ、生命力を退化させるものに抗する精神の欲求に基づいて発生したものである。そして、そのために施設が、人里離れた土地に建てられたのは、ギリシャの昔から洋の東西を問わず、人類が長らく実践してきたことである。
 ギリシャ政府が新しく古代劇場を発掘したので、その場所に案内されたことがある。街から遠くはなれた山中の神殿の傍らに、劇場は精神病院と一体になって建設されていて、驚き感心した。アポロンの神殿を眼下にした山の中腹に、劇場とスポーツ競技場が在るデルフィを、初めて訪れた時にも同じ感慨を味わわされている。
 むろん演劇が、宗教儀式にその発生の原点をおいていることは、日本も同じである。日本の芸能も寺社と不可分に存在し発展してきたことは、春日若宮神社の神楽の舞台や、その発展形態である能舞台がやはり、神社の境内の一角に建てられたりしてきたことを想い浮かべれば分かるのである。
 この利賀村の地に、スポーツ施設はともあれ、先端的な医療施設や国際的な教育施設が設置されたら、どんなに素晴らしいか。環境はまさに適しているが、東京への一極集中に抗して、いつの日にかその実現は可能か。これが私の近ごろの妄想である。