BLOG

鈴木忠志見たり・聴いたり

10月15日 北京まで

 中国と韓国の俳優が到着、いよいよ明日から、北京で開催される第6回シアター・オリンピックスに参加する作品の稽古が始まる。「シラノ・ド・ベルジュラック」と「リア王」の2作品を11月の11日・12日、15日・16日に長安大劇院で上演する。「リア王」には中国人俳優2人と韓国人俳優4人が加わっている。
 丁度、APEC開催の時期と重なる。それを知っている人からは、警備が厳しくて大変でしょう、と言われる。それについては、これまで経験したことがないことで想像がつかない。
 オープニングは11月1日、天安門広場の脇に建つ国家大劇院、中国国家の威信をかけて造られたような壮大な劇場、中国オペラの公演から始まる。公演前の式典にシアター・オリンピックスの国際委員としての挨拶、翌日の午前中には、演出家としてのレクチャーを依頼されている。劇団員とは別に、一足先の訪中になる。
 最近の私は、そういう儀式的なことに参加するのは気が重いところがあるのだが、ギリシャのテオドロス・テルゾプロス、中国の林兆華などの演出家も一緒らしいので行くことにした。オリンピックスの開催期間は2ヵ月間、友人のアメリカの演出家ロバート・ウィルソンや、先頃亡くなったロシアの演出家ユーリー・リュビーモフの作品は12月になってからの公演。その頃の私には、恒例の吉祥寺公演があり、彼らの作品を観ることができない。リュビーモフの作品は彼の遺作、残念である。
 第1回のシアター・オリンピックスは1995年、ギリシャの聖地デルフォイだった。もう20年も経つ。アポロンの神殿の上、キタイロンの山の中腹に古代競技場の遺跡がある。数千人は収容できるのではないかと思える広大なもの、所々の客席は崩れて、大きな石が傾いていた。私はそこで「エレクトラ」を上演した。現在は貴重な文化遺産としてギリシャ政府の厳しい管理下にあり、演劇の公演は禁止されているそうである。
 北京のシアター・オリンピックスは、10月7日に3回忌を迎えた斉藤郁子の執念の賜物として実現した。余命いくばくもないことを知ってからも、何とか北京開催までは生きていたいと口にしていた。
 2011年の5月、北京に国際委員を呼び集め、ソウルの次は北京にしたいと提案したのが、シアター・オリンピックス事務局長としての最後の仕事だった。当然、北京市が応援してくれることが必要である。面倒な事務処理をこなし、その正式な決定を首を長くして待っていた彼女、中国の国際委員のリュウ・リービンから、北京開催を正式に知らされたのは翌2012年8月末、SCOTサマー・シーズンの終わり頃である。それから1ヵ月余の命だった。
 斉藤郁子の死後、事務局長の仕事を継いでくれるのは、モスクワでの第3回シアター・オリンピックス開催時に、強力に支援してくれたマイヤ・コバヒゼ、当時のロシア文化省芸術局長である。グルジア出身の知的で魅力的な女性。イギリスやアメリカの大学に留学しているから英語は達者だが、ある時期から日本文化にひかれ「源氏物語」などの古典を読み、面白がっている。2016年にはポーランドで第7回シアター・オリンピックスが開催される予定である。斉藤に劣らぬ活躍をと願っている。
 シアター・オリンピックス創設時から、中心的に活躍してきた斉藤郁子とロシアの国際委員リュビーモフの不在は、改めて時の流れと人生の無常を感じさせる。二人の強く激しい精神力に支えられた志を無にしないように、北京ではガンバラナケレバ、と思う。