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鈴木忠志見たり・聴いたり

11月18日 素早い反応

 一週間近く青空が続く。夕日にシルエットに浮かぶビルの姿が美しい。空港からホテル、ホテルから劇場、車は渋滞もなくすぐに着く。北京でのこんな経験は初めて、APECのお蔭である。今月の7日から「シラノ・ド・ベルジュラック」の公演までの間の一週間、公共機関や学校は休み、道路には走行する自動車、街路には通行人の姿はまばらだった。時々、武警と書かれた車と、銃を手にした軍人に出会う。
 「シラノ・ド・ベルジュラック」の公演は、まさにAPECが開催された当日、11日と12日の両日だった。観客が入るか心配だったが、それも杞憂で超満員、ダフ屋が出るぐらいの盛況だった。中国側の主催者から終演後の観客との対話を要請される。多くの観客から要望が寄せられているので是非にとのこと。毎日やることにした。
 舞台の出来具合は上々、俳優たちは日本での公演の時よりガンバル。改めて劇団員を頼もしく感じる。ただ、一つだけ残念なことがあった。幕切れに雪を降らすことができなかったのである。紙の紙片が照明器具の中に入り、火がつき火事になることを、劇場の責任者が心配したからである。
 終演後の観客との対話の中で、なぜ雪を降らさなかったのかと質問が出た。南京の劇場での公演を観た人であろうか。この舞台は世界中で上演されているが、私も初めての経験で不思議だと答える。観客からは笑い声。それもAPECの故とのことらしいが、翌日のネット上には即座に劇場の過剰反応への抗議と、APECを理由にした劇場管理者の怠け心のためではないかとの声も。ともかく、私の演出には驚いている。そういえば、北京での私の舞台の公演は約20年ぶりである。終演後の対話は面白かった。
 観客の一人が、この原作は愛の物語りだと思うが、俳優の発声は声が大きく、登場人物が怒っているように見える。それに原作の台詞を随所でカットしているが、作者への冒涜にならないかとノートを取り出し、演劇論をナガナガと始める。どこの劇場でもよく見かける、自己宣伝のためのスタンドプレーのように見える。内容は西洋崇拝とリアリズム演劇にコリカタマッタ、一時代前の演劇オタクの感じ。他の観客から質問者に批判の声が上がる。
 私はこの原作を愛情物語りだとは思っていない。男の生き方、死に方の物語りだと思っている。それに私の劇団は大きな野外劇場でも作品を上演する。雨が降ろうが台風が来ようが公演は中止しない。声が強く大きいのは当然である。室内でヒソヒソと恋に悩む男女の姿や心理などを、演劇という形式を通じて観客に見せるつもりはないと答える。
 翌日の新聞にはすぐに、この観客の言動を批判する記事が大きく掲載されていた。作者への冒涜とはトンデモナイと書かれている。アリガタイ援護射撃である。
 私の2本目の作品、「リア王」の公演が終わり上海へ移動。飛行機の中でウトウトしているとスチュワーデスに起こされ、眼前に新聞紙を差し出される。私の写真が一面に大きく掲載され、「リア王」公演の批評が書かれている。主役のリア王は25歳の中国人、これからももっと、中国の若い俳優を育ててほしいとの内容、反応の素早さと私の意図の理解に感謝である。スチュワーデスに掲載紙を手渡されるとは、大スターになったと中国人にカラカワレル。
 北京での最終日には、人民日報の記者に長時間のインタビューをされた。女性の文化担当編集主任とのこと、知的な理解力と身体への感受性の鋭さに感心する。記事は3回に分けて掲載されるらしい。
 今日から上海話劇芸術センターでの「リア王」の公演の仕込みである。フランスの租界地だった頃の建物、劇場の内部も周囲の街路の雰囲気も、旧き良きヨーロッパを想わせられるところがある。北京の近代ビルが林立する中の劇場とは違った趣で楽しめる。上海の魅力である。