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鈴木忠志 見たり・聴いたり
12月13日 靴磨き
いよいよ明日、吉祥寺シアター公演のために利賀を離れる。今年で5年目である。吉祥寺での公演は利賀村とは違って、公演のための入場料金を設定させてもらっている。東京の観客にとっては、交通費もそれほどの金額になるわけではなく、宿泊費も要らないのだから、という判断からである。もし利賀村のように、「ご随意に」にすると、ヒヤカシ半分の観客も出てくるのではないか、収容数の小さい劇場だから、真剣に舞台に接したい人、長年にわたって私の舞台を見続けてくれた観客が入れないこともあるのではないか、という危惧も感じたからである。
幸いなことに毎年チケットは完売になる。今回もすでに「トロイアの女」と「からたち日記由来」の連続公演のチケットは売り切れ、「トロイアの女」の単独公演だけのチケットが、ホンノわずか残っているだけである。市販されている大新聞に、公演の予告記事が書かれたわけでもなく、劇団のホームページの予告だけで満員の観客が来場してくれる。アリガタイコト、である。
私の若い頃は、新聞記者に記事を書いてもらうために、東京の新聞各社を訪ねたものである。インターネットのない時代だから、少しでも不特定多数の人たちに、公演の情報を届けるには、それしかなかった。むろん、公演の情報が記されているチラシを、ダイレクトメールとして郵送はするのだが、これは量が増えれば増えるほど出費もかさむので、貧乏劇団としては、新聞に記事がでることが、なによりも助かることだった。当時は今と比べて、新聞の読者層は広く権威も保たれてもいた。
新聞社を訪ねて、戯曲の内容について、それがどのように世間一般の解釈と違っているか、そのためにどんな演出をしているかを説明するときほど、シンドカッタことはなかった。大抵の新聞記者は分からないような顔をする。私の説明が下手なこともあるが、今まで見たこともないことに興味をもたせ、文章にしてもらうのは難しい。相手の心がなかなか動かない。よく言われたものである。そんな難しい観念的なことは記事にはならないよ。もっと具体的な面白い話題はないのかね。中学生や高校生でも面白がるような。
別役実と劇団を創立してすぐ、新宿アートシアターで公演をすることになった。1966年だから、もう50年近い前である。別役実の作品はカフカの小説を下敷きにした戯曲「門」。一般に流布していた当時の演劇、日常生活の風景を描くリアリズム演劇とはまったく違う種類のもの、一種の抽象劇である。どこの新聞社も記事にしてくれない。これでは観客が集まらないと、劇場の支配人が我々に提案した。公演の一週間ぐらい前から、劇場の前で劇団員が靴磨きをしたらどうだろう。戯曲の主人公は靴磨きなんだから。
劇場は明治通り、伊勢丹と向かいあって建っている。確かに人どおりは多い。支配人は言う。鈴木さんや別役さんが靴磨きをしていれば、そのうち新聞記者が聞き付けて取材に来ますよ。夕方の6時ぐらいから、人どおりが少なくなる10時ぐらいまでどうですか。
二人とも靴磨きなんかしたことはない。私は劇団員に、早くプロの靴磨きに何が必要か聞いてこい。どうせやるなら5人ぐらい並んで、一斉に始めようと言った。
春先の新宿、ビルの谷間の道路である。あのときの心もとなさと寒さは今でも思い出す。しかし、それよりも靴を磨きに来てくれる人が殆どいない、仕方がないから知人に電話をかけて靴磨きに来てもらった。この人集めの方がたいへんだったが、この苦労に同情してくれたのか、感激してくれたのか、三大紙の一紙がこの公演をとりあげてくれた。
吉祥寺シアターの前に立つと、よくこの時のことを、懐かしく思い出す。しかもそれが、まだ昨日のことのように思えるのが不思議である。これからの演劇人生にも再び、こういうこともあるかもしれない、いつでも覚悟はしておいた方がいいと、忠告してくれているのかもしれない。