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鈴木忠志見たり・聴いたり

1月4日 初めての国

 南アメリカの北西部にエクアドル共和国がある。エクアドルとはスペイン語で赤道を意味する言葉らしいが、実際に赤道直下に存在する。まだ行ったことはないので、体験的な知識は皆無。辞書によればガラパゴス諸島があり、人口は1300万人ほどだそうである。
 このエクアドルから、昨年の夏にメールが来た。初めての国際的な演劇祭を開催することになった、あなたの作品を招待したい、あなたが来てくれれば光栄である、と書かれている。知り合いの演劇人がいるわけでもないし、この年齢になると南米は遠いから、と返事を出さずにいた。
 しばらくすると、ヘンジガナイ! と再度のメール。今年はSCOT創立50周年、忙しくて行くのはムリ、来年なら可能性はあるかもしれない、と返事をするように事務局に指示する。すると今度は、政府に予算を要求するので、演目と人数、演目に適した劇場の規模を早く教えろ、と事務所に電話。それもルスデン、実に熱心。
 いつものことだが、こういうやり取りをしているうちに、私の気持ちは追い込まれる。欧米やアジアの国とは違い、その国の演劇事情も知らず、面識のある人もいないのだから、気楽に断ればよいと思うのだが、実際はその逆になっていく。行かなければならないような気持ちにさせられるのである。
 昨年は珍しい現象が起こった。相変わらず世界の多くの国から招待がきたが、例年と比べると、まだ訪れたことのない国、それも小国からの招待が多い。上記のエクアドルに加えて、タタルスタン、ベラルーシ、グルジア、など。ちなみに、ベラルーシの人口は1000万人弱、グルジアは400万人を少し越えるが、タタルスタンは人口400万人にも満たない国である。
 来年には世界ツアーを考えている、その一環として立ち寄れるかもしれない、と少しあいまいな返事をしたらと事務局に言い、さて世界地図を眺めて驚く。そればかりか、世界に対する無知を思い知らされる。
 来年の10月には、ロシア、ポーランド、中国で公演することは、ほぼ決まっている。そのついでに行くことにしたらどうか、初めての小国は楽しいこともある、そんな気楽な気分があった。それが一挙に吹き飛ばされたのである。それぞれの国があまりにも遠く離れている。これでは世界を一周することになるばかりか、行きつ戻りつ何回も飛行機を乗り継がなければならない。飛行機にどれぐらい乗らなければならないのか、舞台装置や衣装はどのように運ぶのか、どういう順序と方法をとれば良いのか見当がつかない。
 実際のところ、日本からエクアドルに行くにしても、アメリカで乗り換えて25時間前後はかかる。それからロシアのサンクトペテルブルグ、グルジアのトビリシ、タタルスタンのカザン、中国の上海などには、どこを経由しどういう経路で行くのか。頭がクラクラするだけではなく、ゾッとしてくるのである。
 予定している劇団のスケジュール、10月の一カ月だけでは、回り切るのは不可能にみえる。いくつかの国は行くのを断るべきだと思うのだが、しかしそれでも、見ず知らずの小国の演劇人から頼りにされ、丁寧な態度で招待されると感激し、いつの間にか行く心の準備が始まってしまうから困ったもの。事務局員の迷惑も顧みず、スケジュールを少し調整すれば、ナントカ、と考えだしてしまうのである。
 世界には人口も面積も経済力も小さな国が色々とあり、そういう国にも世界的な視野で活動しようとしている演劇人がいる。これらの国での公演によって、EUやアメリカやロシアあるいは中国、そういう大国でのそれと同じように、私の作品の評価が更に広まり、そのことによってまた、経済的な利益をもたらすことはないとは思っても、メールのやり取りをしているうちに、これらの国の演劇人に、いつしか懐かしいような親しみを感じだす。私のこれまでの活動が、大きいことは良いことだ、という価値観に一貫して逆らうようなものだったからかもしれない。
 未だ行くことを決定したわけではないが、私を招待した相手はどんな人物で、ナゼ、ドウヤッテ、私のことを知ったのか、それを想像するのが、ダンダンと楽しくなっていく。
 中国の人口は13億人を越える。一方では人口1000万人以下でも一つの国として存在している。この規模の国家は政治的、経済的、文化的にはどんなマトマリ方をしているのか、そのユニークなところは何か、その中で演劇はどんな社会的な役割を担っているのか、興味がドンドンと強くなっていく。
 最近では、心配なのは自分の体力の問題だけだという気がしているが、しかし果たして、スケジュールを上手に調整しうるものかどうか。明日はインドネシアに発つ。バリ島にしばらく滞在し、今年から利賀村で始まるインドネシアの演劇人との交流の打ち合わせをする。インドネシアも初めての訪問である。