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鈴木忠志見たり・聴いたり

3月19日 尽きない妄想

 1982年のことだから、もう30年以上も前になる。二週間ほど、カリフォルニア大学サンディエゴ校の演劇科の学生に、私の俳優訓練を教えに行ったことがある。構内を歩いていると、聞きなれた歌曲が聞こえてくる。森進一の「ひとり酒場で」、ありきたりの歌詞であり曲である。
 歌っているのは一人ではない。30人ほどの人たちによる大合唱。もちろん、日本語、それが私にはヘタな軍歌のように聞こえた。日本の流行歌も強弱アクセントで大勢で歌うと、マルデ軍隊の行進曲のように聞こえる。私はスコシ恥ずかしかった。一人の男が夜の銀座で、別れた女のことを忘れられないで吞んでいるのだ。コンナノハ、ユーモアのある心で日本、特に利賀村のような所で歌うべきもの。アメリカの大学のキャンパスで大勢で歌うようなものではない。歌詞が解る人がいるかもと、思わずマワリを見回したくなる感じだった。私は内心でナニモ日本語で歌わなくてもと思いながら、大声のする教室に入る。学生達が車座になって、ローマ字で書かれた楽譜を見ながら歌っていた。
 「ひろい東京にただ一人、泣いているよな夜が来る、両手でつつむグラスにも、浮かぶいとしい面影よ、夜の銀座で飲む酒は、なぜか身にしむ胸にしむ」これが「ひとり酒場で」の一番の歌詞である。こうして書き写してみると、ヤハリ、陳腐そのもの、ハズカシイ歌詞なのである。
 この当時の私の劇団は、発声訓練のために流行歌を使っていた。日米友好基金の援助で、毎年アメリカ各地の大学から、幾人かの教師が私の訓練を学びに来ていた。その中に、カリフォルニア大学の演技指導教師がいて、その人がSCOTの劇団員と共に練習した日本語の歌を、そのまま教えていたのである。
 最近では稽古前の発声訓練に、演歌調の日本の流行歌を使うことはない。理由は外国からの出演者が多くなったことによる。それぞれの俳優の母国語で、シェイクスピアのマクベスの台詞を語らせている。その言葉は、「明日、また明日、また明日と、時はこきざみな足どりで、一日一日を歩み、ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、昨日という日は、すべて愚かな人間が塵と化す、死への道を照らして来た。消えろ、消えろ、つかの間の燈火! 人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ……」
 「ひとり酒場で」の歌詞と比べると、ジツニ哲学的なもの、雲泥の差がある。もちろん私には、日本の流行歌のハズカシイ歌詞に、なにがしかの想い入れがあったから、訓練にワザと使用したのである。
 私はその頃、稽古前の発声と呼吸の訓練には、森進一の前記のものや、昭和初期に流行した「裏町人生」、「波止場気質」などを使用していた。平凡な歌詞で変化の少ない類型的な曲ほど、初心俳優の日本語の訓練の材料としては適していたからである。古賀政男作詞作曲の「影を慕ひて」などは頻繁に使用した。この曲の旋律とテンポのゆるやかさが、身体を動かしながら発語するのには具合が良かった。言葉も身体に懸り易く、気持ちも乗せ易かった。
 この曲の成立は昭和3年、昭和4年にレコーディングされたが、すぐにはヒットせず、昭和7年になって藤山一郎が歌って流行した。戦後では美空ひばりが歌っている。
 「まぼろしの影を慕いて、雨に日に、月にやるせぬ、わが思い、つつめば燃ゆる、胸の火に、身は焦がれつつ、しのびなく」これが歌詞の一番である。
 この曲の演奏に合わせて、蹲踞(ソンキョ)からゆっくりと等速度でつま先立つ、そしてまた、同じ速度で蹲踞に戻る。この動作の間に一番の歌詞を歌い了えるのである。重心を安定させ上半身を動かさずに、腹の奥から声を共鳴させて出すと、恋に破れたセンチメンタルな男の心情が、孤独な男のスガスガシイ心意気の表明のようになるからオカシカッタ。男優全員が日本語の高低アクセントで上手に歌うと、恋に破れた心情も、ケッコウ、イサマシク聞こえるのである。
 最近、古賀政男がこの歌について語った言葉に触れ仰天した。池田憲一の「昭和流行歌の軌跡」に出てくるのだが、これは彼の革命への憧憬の歌だったらしいのである。
 「世の中は金がすべてではないはずと思って明大に入り、アルバイトをし、汗水流して卒業してみたら、どうです、社会から与えられたのは雀の涙ほどの給料。これが歯をくいしばって大学を出た代償かと思ったら、情けなくて自殺まで考えました。マルクスを学び、本当に一時はそちらに走ろうかとまで思いました。「影を慕ひて」は失恋に形を借りた私の絶望感の表現だったのです。気障ないい方ですが、あれは生活苦の歌なんですよ」
 古賀政男のこういう言葉に触れると、カリフォルニア大学の構内に流れた、「ひとり酒場で」のグラスに浮かんだいとしい面影も、マルクスだったかもしれないではないかと想像もしたくなる。カナラズヤ、作詞者は革命運動に挫折した金持ちのボンボン、ひとりシミジミと、日本の資本主義的繁栄の現実に、銀座で苦悩煩悶しグラスを傾けていた。ウエイトレスの対応はドウデアッタカ、後ろ姿は、ドンナフウニ淋しく孤独だったのであろうか。
 この歌の背後に隠され、表現されていたものは、失恋した男の女々しい心情ではない。古賀政男の生活苦と対をなす、コウマイな精神苦。だから、大勢のアメリカ人が勢いよく歌うと、戦闘的な軍歌のようになったのではあるまいか。
 いつものことだが、昭和の流行歌に刺激されると、私の妄想は尽きない。