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鈴木忠志見たり・聴いたり

5月17日 太くて黒い毛

 公演の幕が上がる直前、出演俳優の楽屋を訪ねることがある。ナント、イウコトモナイ。顔を見てただ、ガンバロウ! と言うのである。主役を演ずるのが初めての若い俳優は、舞台上で緊張することが多く、そのためにお互いが不満足な気分になることを、出来るだけ避けようとする、チョットした儀式のようなもの。スポーツと同じで、長い間の稽古の成果が失敗に終わった時の気分は、ケッコウ、ニガク、残る。演技は一回性を本質とする表現行為だから、やり直しによる修正はない。観客に失敗の弁解はできない。スポーツのテレビ中継のように、終演後に失敗の原因を解説するわけにもいかないのである。
 舞台上の時間はヨクテモ、ワルクテモ、偶然性に左右される身体との関係の世界である。身体に湧き起こる偶然を、どこまで直観という意識状態で予測・コントロールし、相手役や観客との関係を巧みに生きるかの集中の場である。世阿弥流に言えば、マコトニ、女性には申し訳ないが、なにごとも上手くいかない「女時=めどき」と、なにごとも上手くいく運の良い「男時=おどき」とがある。訓練や稽古とは、偶然への対応力を強く鋭くし、その関係を遊ぶための集中の時間のこと。
 ずいぶんと昔、私がまだ30代の頃だが、若い女優にカンバロウ! を言うために、楽屋の扉を半分ほど開けたことがある。私の顔を見るなり、アラ、ハズカシイ、と言う。洗面台に片脚を上げて、手には簡易カミソリを持っている。ナニヲ、シテイルノダ。脚の毛を剃っているんです、と言う。そんなこと、ドウデモ、イイジャン、それより開演直前なんだから、スコシ、シュウチュウ、シタラ! すると驚くべき言葉が返ってきたのである。ワタシ、スネゲが目に入ると、シュウチュウ、デキナインデス。この意識状態は、私には青天の霹靂、トモカク、ガンバロウ! と楽屋の扉を閉めた。
 後日、この女優に尋ねた。どうして、スネゲが目に入ると、ダメナンダイ。私の毛は太くて黒い。観客はそんな所は、ミテナイヨ、キニシナクテモ。それに、そういう脚を好きな人だっているかもしれないし。女優は深刻な顔をして言う。山手線に乗っていたら、前に座っていた男の人が、私の脚をジット見るんです。しばらく剃らなかったら、ストッキングから、黒い毛がいくつか突き出ていた。モノスゴク、ハズカシカッタ。こうなると男性である私は、オテアゲ。心にも、太くて黒い毛が生えたら、剃らなければね。コレデ、この話しは、ウチキリであった。
 今月の前半は忙しかった。稽古の最中に中国とロシアから演出家が、仲間や家族を連れて来村。一人はSCOTサマー・シーズンで公演する劇場の下見、一人は劇場の芸術総監督、SCOTとの今後の交流事業の協定書を交わすため。木々の新緑の多様さ、山肌に未だ残る雪の白さ、この珍しいコントラストに感動して、二人とも大都会、北京とサンクトペテルブルグに帰って行った。
 私も久しぶりに東京に行く。話題の北陸新幹線のホームから、一番線ホームに横付けになっている中央線に乗り込む。雑踏をかき分け、エスカレーターに乗り、電車の座席に座ると広告のシャワー。大都会はウルサク、身体もチリチリと忙しい。シカタガナイ、車内の広告にツキアウことにする。
 ナント! 終わりのある脱毛、両ヒザ下脱毛体験1,000円、とあるではないか。私は苦労してカミソリで毛を剃っていた女優のことを思い出す。時代は進んでいる、便利になった。彼女の舞台上での集中への道は、タッタ、1,000円で永久に保証されているのである。
 サテ、電車を降りようとハヤメに席を立つ。扉の脇には更に、オドロキの文字広告。脱毛娘。焦る‥‥全身脱毛に3年もかけるつもり?‥‥夏までもー3ヵ月しかないんだよ! タシカニ、こんなことで女優に焦られていたら、舞台上での集中はメチャクチャ。しかし、大文字でこれが書かれているのに接すると、私も谷崎潤一郎の瘋癲老人の世界に。
 イッタイ、コノオンナハ、ナンノタメニ、サンネンモカケテ、ゼンシンノケヲ、ソロウトスルノデアロウカ? ロウジンハ、マタモヤ、モウソウスル。シンゾウニハエタ、フトクテ、クロイケハ、ドウヤッテソルノカ。ヨホドノ、シュウチュウガ、イルノデハナイカ。ヘタナ、ソリカタヲスルト、イノチニカカワル。