BLOG

鈴木忠志見たり・聴いたり

6月20日 誕生日のデキゴト

  今月の前半に右眼の手術をしたために、新しいブログを書けなかった。術後しばらくは、物の見え方が少し違っていたのと、集中した目視をすると疲れて、眼が痛くなった。ようやく慣れてきたので、こうして画面に向かっている。一昨日、日本を発ち、烏鎮に2泊し、今日北京に到着したが、心配なさそうである。
 烏鎮という町は、上海から車で一時間半の所にある。1300年ほど前に出来た旧い町である。外観は昔の雰囲気を残してはいるが、家の内部は目的に沿って、機能的に手が加えられている。規模は小さいがヴェニスを想わせられる。
 谷崎潤一郎は、この烏鎮から運河で繋がっている蘇州を東洋のヴェニスだと言ったが、街の中を縦横に横切る運河と、その中を走る小船の多さを見ると、私にはこちらの方がヴェニスのようだと思えた。ただヴェニスと違うのは、同じく観光客が多いとはいえ、夜10時過ぎになると人の行き来はなくなる。街全体をライトアップしていた明かりは消されるから、街路や水面も暗くなってしまう。そして、すべての店は閉まってしまうのである。
 この観光地の特徴は、ホテルや旅館、レストランや喫茶店の経営者はいても、この町で生活する住民がいないことである。経営者や店の従業員たちも大半は、この町の外に在る自分の家に帰る。残っているのは、主に観光で来た宿泊客、だから夜の街路は人影もなく、宿泊客の窓からもれる灯りで微かに明るく、運河の水面にうつる家並みが暗く浮かぶだけ。この光景はこれでなかなか、ミゴトなのだが、翌日の朝8時の町の開門で一変する。街路は人で溢れる。年間に600万人以上の人たちが、観光に訪れる町なのである。
 この観光地を開発した陳向宏さんは、不思議な人である。この町の中に劇場を三つも造った。そして、二年前から烏鎮国際演劇祭をスタートさせた。中国の若い演劇人たちを応援するためだが、欧米からも私の知人たちが招待され公演している。昨年には、この町から少し離れた所にある廃工場を買い、今年の末には文化施設に改造し、新しい活動を展開するのだという。
 この陳さん未だ52歳、私とは親子ほどの違いがあるのだが、静かな集中力の気迫を身にそなえている。何度も会っているうちに、人間としての魅力を感じ、親しくなった。私の考えていることを、この烏鎮で国際的に展開することをすすめられ、新しい施設の視察に来たのである。ウマク、話しがまとまるかどうか、私の要求はすでに伝えたが、金の儲かる計画でもなし、支援者になってくれるという陳さんの腹と決断次第である。
 陳さんは北京の郊外、万里の長城の麓にも、烏鎮に劣らぬ大規模な観光地、古北水鎮を開発した。そこにも大きな野外劇場を造った。ついでに、そこも視察してくれと言われ、来たのである。そして6月20日、私の誕生日。陳さんがライトアップした万里の長城を眺めながら、野外レストランで、中国の知人たちも一緒に食事をした。その壮大な光景。中国の歴史の迫力を感じさせられる。
 陳さんは国際的な注目を集める、芸術センターのようなものを構想しているようである。7月末までには結論が出る。モシ、話しがマトマレバ、そのセンターの芸術総監督に就任ということになるのだが、76歳からの新しい事業。少しの心配もあるが、モトモトハ、日本と中国との政治的な関係が、ギクシャクしだしたので、日本と中国の友好的共存のために、私なりに何か役立つことはないかと身を寄せてみた中国。中国の友人たちの助けを借りながら、ドコマデ、デキルカ、全力でヤッテミル価値はあると思っている。