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鈴木忠志見たり・聴いたり

9月21日 紀元前の出会い

 SCOTサマー・シーズンも終わり、急激に秋の気配が深まる。夜はストーブが必要なほど。今年は8月下旬から9月上旬までの毎週末、6本の演出作品を上演し続けた。その後、外国の演劇人、大学教授、評論家に、9月14日まで、私の訓練が実際の舞台にどう生かされているか、SCOTの俳優の演技を見せながら講義をした。さすがに疲れた。しかしそれにしても、今夏は各劇場とも連日超満員、俳優たちがガンバッテくれたので、作品の評判も良く、それなりの充実感は残っている。特に、利賀村を初めて訪れた多くの若い人たちが、驚きを感じて帰ってくれたようでウレシイ。観客層が世代交代しつつあるのを感じる。外国人を含めて。
 昔のことを思い出す。最初の頃は東京の演劇関係者に、発狂したとか、夜逃げをしたとか、新興宗教の教祖になったとか言われた。ウンザリはしたが、それだけ刺激的な行為なんだと、内心ではほくそ笑んだ。しばらくは700人前後の観客しか来なかったが、それでもヤハリ、世の中にはモノズキな人たちもいるものだと励まされた。
 それが最近になって観客は増え続け、今年は約一万人の人たちが訪れてくれた。時代の変化もあろうか。その中には、珍しく再会した人も多かった。ミュージカル「ライオン・キング」の演出で、一躍その名を世界的に知られることになったアメリカのジュリー・テーモアや、ロマノフ王朝時代にサンクトペテルブルグに建てられた素晴らしい劇場、アレキサンドリンスキーの芸術監督ヴァレリー・フォーキンの姿も見える。ジュリー・テーモアは三日も滞在し、私の全作品を観劇してくれたばかりではなく、スズキ・トレーニングの実際をつぶさに観察し、イマドキこんなにキビシイ訓練を未だ持続しているのかと、驚きと関心を示して帰っていった。
 彼女に初めて会ったのは、もう30年も前、ニューヨークのジャパン・ソサエティである。私が利賀フェスティバルを始めてしばらくの頃、全米演劇人協議会の専務理事ピーター・ザイスラーに紹介された。彼女の作品を利賀フェスティバルで上演したらどうかと言われ、ジャパン・ソサエティの視聴覚室で、彼女と一緒に利賀村で上演したいという作品を見た。懐かしい思い出である。これから共同で何か仕事をと今回、話はハズンダが、私の年齢とこの利賀村の活動の実際を考えると、身軽にはモノゴトは進まない気分も引きずる。
 現在は10月末から11月初めにかけて、北京郊外の「万里の長城」の麓にある2,000人収容の野外劇場で上演する、「酒神・ディオニュソス」の稽古中。劇団員一同、休む暇もない日程である。主役のペンテウス王は、私が北京の中央戯劇学院で教えた時の中国人俳優。現在ブロードウェイで活躍するアメリカのトム・ヒューイット以来の素晴らしい若者俳優。トムもこのペンテウスを演じているが、彼も当時は20代、懐かしさと共に不思議な縁を感じる。身長、風貌、私のトレーニングを身につけての、力強くシャープな身動きは二人ともソックリ。
 それにしても、この「ディオニュソス」を初めて海外で上演したのはアテネの野外劇場、第1回シアター・オリンピックスのオープニングである。背景はパルテノン神殿、今度の中国の劇場の背後には、「万里の長城」が悠然と聳えている。紀元前に誕生したヨーロッパの戯曲を、同じく紀元前に建設されたアジアの世界的な遺産の前で上演する、このあまりにも、デキスギタ出会いに、今は興奮している。
 「万里の長城」は北京郊外の山の中、夜の公演時には寒さはひとしお、気温は零下に近くなるという。野外劇場で20日間は深夜の舞台稽古をする。その寒さとの闘いに勝てるかどうか。
 私の俳優の演技は、舞台上で長時間ジット動かないことが多い。利賀村の活動で寒さには慣れているとはいえ、ナニセ、中国山地での冬の野外劇場。観客席には床暖房を施したらしいが、舞台にまでそんなことはできまい。これだけが唯一の心配ごとである。