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鈴木忠志見たり・聴いたり

10月25日 万里の長城から

 中国で焼き魚、しかも秋刀魚が食えるなんて。劇団員が喜んでいた。一昨日はラーメンと鳥の唐揚げ、昨日はチャーハンに秋刀魚が添えられた。北京郊外の古北水鎮の深夜食堂という名前の食堂、夜の10時のことである。夜8時から朝まで開店している気楽な拵えの店、日本の飲み屋食堂のようだと男優たちは言う。
 今月の10日朝に羽田を発ち、3時から北京市内のホテルで記者会見をした。古北水鎮にあるギリシャ式野外劇場のオープニングに公演する「ディオニュソス」のためである。中国の4人の演劇人が同席してくれた。20年前に、日中韓共同の演劇祭BeSeToを共に創設した徐暁鍾、もはや80代の半ばを越えているが、彼の元気な姿を久しぶりに見ることができて安心。肩書には私が昨年名誉教授に就任した、中央戯劇学院の名誉院長とある。中国での初めての友人、長い縁を感じる。
 記者会見の後にすぐ古北に入る。北京から自動車で一時間半、万里の長城を仰ぎ見ることのできる山の中腹に観光地として造られた町、さすがに夜は冷える。暗くなるのは6時だから、それから3時間ほど照明を点けた舞台での稽古をする。しばらく後片付けをしてから、照明によって光り輝く万里の長城を眺めながら歩いて深夜食堂に到るのである。
 夜道を歩きながら、私はデルフォイでの第一回シアター・オリンピックスの経験を思い出す。ギリシャの夜は暗くなるのが9時頃、それから舞台での稽古をするから、終わるのは夜中の2時とか3時になる。
 デルフォイはパルナソス山麓の断崖の縁に築かれた町。アポロンの神殿と競技場と野外劇場を擁する古代ギリシャの聖地である。稽古の後、夜の山道を街の方に下って行くと、デルフォイの街の上、遥か彼方に海沿いの町の灯りが目に入る。その灯火を見ながら、アポロンの神託を求めて旅をしてきた巡礼のことを想像した。彼らは、ナニヲ、ネガイ、ナニヲ、カナエタカッタノカ。そして、ナントナク、私は感動し昂揚した気分になった。
 万里の長城も断崖絶壁の上に築かれている。築城の発端は春秋戦国時代、外敵の侵入から領土を守るために築かれたものである。その万里の長城を眺めながら、やはり古代人のネガイゴトを想い、私は高揚した気分になるのである。夜の山上にいるということが、ソウシタ共通の気分に誘うのだと、初めのころ私は思った。しかし最近の私は、少し違った感慨を持つようになった。
 私は単純に驚いていたのである。その驚きが私を高揚させたらしい。日本人としては当然だったかもしれない。ナニシロ、アポロンの神殿も万里の長城も石造りなのである。多くの重い石を山上にまで運び込み、何千年も姿形をとどめる建造物を残したエネルギーの量に、マズ圧倒されたのだと思う。
 今にして思えば、あまりにも過剰な動物性エネルギーの集積である。言い方を変えれば、自分の日常の利益のためにすぐに役立つわけでもないもののために、これだけ膨大なエネルギーの放出を、何年も持続させた力に驚くのである。建造物自体を素晴らしいと思うのは、後世の人たちである。
 これらの建造物が完成するまでに要した時間、その時間のあいだに、この世を去った数知れぬ個人がいることを、私は想ったのである。その人たちは、イッタイ、ナニヲ、ネンジテ、建設に勤しんでいたのか、それぞれに違っていたようにも思える。
 5日後に上演する「ディオニュソス」はギリシャの古代都市テーバイに、異文化としての宗教勢力が布教という名の殴り込みをかける話である。異国から押し寄せる宗教の乱入を阻止しようとするテーバイの王ペンテウスは、ディオニュソス教の僧侶と争い悲惨な最期を遂げる。この宗教集団の神ディオニュソスは、ペンテウスを屈服させるため、信徒たちに次のような檄を飛ばす。
 「人間の分際を弁えず、神たるわれに逆らい、供物も捧げず、祈ろうともせぬものらことごとくに、わが神の本体を示してやらねばならぬ。ここを首尾よく仕終えたならば、また他の国に移り、神威を知らせてやるのじゃ。万一テーバイの役人どもが、武力を用いて女たちを山から追わんとするときは、おれが信者たちの先頭に立って、一戦を交える覚悟、さればこそ神の身を秘し、人間の姿になって参っておる。リュディアの守り、トゥモロスの嶺を後にして、はるばると蛮夷の国より、道連れとして率いてきた、わが信者の女どもよ、鼓を高くかざし、このペンテウスの王宮のあたりで、にぎやかに打ち鳴らせ。カドモスの町の者どもに見せてやるのだ」
 このセリフが不気味な行進曲に乗って聞こえてくると、目前に聳える万里の長城が、テーバイの城壁のように生きて蘇ってくるのを感じる。古代ヨーロッパと古代アジアの過剰な動物性エネルギーの出会いが、私を驚かせている。