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鈴木忠志見たり・聴いたり

11月9日 ナンデモ、カミ

 エウリピデスの「バッコスの信女」は文化摩擦を扱った戯曲である。異なった価値観を有する集団が出会い、激しい闘争を繰り広げる。その際に、双方がどんな戦術を用い相手を倒そうとするか、どうやって自分たちの信ずる価値観を浸透させようとするか、それを克明に描いている。もちろんこの戯曲は、新来の集団的価値観に対して同じ家族の構成員が示す、拒絶と弾圧、現実的な受容、熱狂的な参加、という三様の対応がいかに家族を悲惨な崩壊に導いたかに焦点を当てている。
 この戯曲を初めて演出・上演したのは1978年、東京都の神保町にある岩波ホール、私が芸術監督として始められた「岩波ホール演劇シリーズ」の二作目である。酒の神ディオニュソスを観世寿夫、テーバイの王ペンテウスとその母親アガウエを白石加代子が演じている。一カ月間の公演を予定していたが、観世さんに癌が発見され、公演は途中で中止、観世さんとの芸術的交友の最後の仕事になった。
 「岩波ホール演劇シリーズ」の一作目は、昨年25年振りに改訂して上演した「トロイアの女」、これもエウリピデスの戯曲である。この舞台では原作の台詞が詩人の大岡信の手によって少し書き直されている。また、合唱隊の台詞は大岡信の詩を使った。しかし、「バッコスの信女」で俳優が語る言葉は、すべてエウリピデスの書いたもの。神様が登場する戯曲だから、難しい宗教用語が随所に出てくるが、松平千秋訳の日本語は俳優によって上手に語られると、優雅にシックリと舞台に納まる見事なものである。
 この「バッコスの信女」を「ディオニュソス」の題名で新しく演出し直したのが1990年、水戸芸術館ACM劇場のオープニング公演の時である。岩波ホールで上演した「バッコスの信女」とは舞台の創り方は違っている。しかし、ベケットの戯曲の台詞が挿入されたりしていて、SCOTの俳優だけによって演じられている昨今の「ディオニュソス」とも少し異なっている。エウリピデスの台詞だけが舞台上で語られるようになったのは、最近のことである。
 「バッコスの信女」を「ディオニュソス」という題名に変更したのには理由がある。この戯曲ではギリシャ悲劇にしては珍しく、神様が舞台上の主役として実際に登場して、奇妙な言動をする。そしてその神様は人間の姿をして登場しているのである。実際の戯曲においても、このディオニュソスと称する神様は、自分は神なのだが、わざわざ人間の姿をして来たと言うのである。
 この神と称する人物と敵対するテーバイの王ペンテウスは、この人物を神として認めようとしていないから、当然のことながら尋ねる。お前は神は居るというが何処に居る? 俺の目には一向に見えない。すると、自らがディオニュソスであると称する男は答える。私の立っている所。あなたは信心がないから、神のお姿が目に入らない。
 現代人にとっては神とは幻想の産物であり、イメージであるから、ペンテウスの疑問は当然であり、男の答え方の方が詭弁ではないかと感じると思う。
 実際のところ、私もある時からそう思った。この戯曲の中でペンテウスの疑問に対応するディオニュソスの答え方は、神のそれではなく、ある集団が確立した価値観である思想や観念、それに基づいて創られた行動の正当性を伝えようとする際の、リーダーの態度と理屈の展開に似ていると思えたのである。
 異国からテーバイに押し寄せてきた集団を宗教集団と見なせば、ディオニュソスと称する人間は、ディオニュソス教の神官、あるいは教団の創立者=教祖に思えたということである。観劇後の観客から質問されたことがある。何故、戯曲の中ではディオニュソスが神として一人で語る言葉を、多数の僧侶が語るように分割したのかと。
 題名を「ディオニュソス」に変えてからの舞台を見た人の感想だが、世界中で起こっている異文化同士の激しい争いを考察すれば、その答えは簡単である。ある時点から私は「ディオニュソス」とは集団の行動を統制する価値観のシンボル、集団が担いだ神に過ぎないと解釈を変更したのである。それ以来、ペンテウスは戯曲に書かれているように、母親アガウエに殺されるのではなく、僧侶たちによって殺される演出にしたのである。
 それでは何故、最後の場面に、母親が胴体から切り離された息子の首をもって登場するのかということになるのだが、それは教団のマインドコントロール下に入ったからである。教団によって創作された物語り、その主役を演じさせられたスケープゴートの姿なのである。それを戦闘的な集団が敵に対して行った、見せしめとしての行為だと見なしてもよいだろう。
 宗教的な催眠状態から醒めたアガウエは、自分がどのような文脈の中で踊らされていたかを悟る。たから、放浪の旅に出る決意をするのだが、彼女が最後に言う次の言葉は、この文化摩擦とも言うべき事件の顛末をよく示している。
 「さらば屋敷よ、さらば故国よ<中略>今はただ、忌わしいキタイロンの山の姿の見えぬところ、奉納の霊杖が悲しい思い出を誘うことのないところへゆきたいと願うのみ。そのようなものはほかの信女らが、崇めたければ、勝手に崇めるがよい」
 人間はイツでもドコでも集団で行動する時には、何らかの<カミ>を必要としている。その<カミ>は必ずしも宗教心だけから生み出されるとは限らない。それはアメリカやEUやアラブ諸国の戦闘的な行動を観察すれば分かることである。現代では理屈さえつけば、ナンデモ、カミ、になるのである。
 しかし、政治家や宗教指導者によって突然のように出現する、正義の衣を纏った<カミ>、それを錦の旗にして繰り広げられる戦争、その渦中でどれだけの死者や難民が生み出されているか、古代人エウリピデスの眼力の射程の長さには改めて驚かされるのである。