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鈴木忠志見たり・聴いたり

12月30日 しろしろや雪

 残り一日で今年も終わる。劇団を創立して50年、利賀村へ活動の拠点を移して40年。長い道程であった。今年はナニカシラ自分の気持ちに、ケジメをつけようかと少し気張って、殊更に忙しくしてみたところがある。
 約束していた事柄、アメリカでの新しい本の出版、中国での野外劇場のオープニング公演、この二つのことは無事に果たし終えて良かった。また、夏のサマー・シーズンには劇団員の頑張りに支えられて、6本の演出作品を一挙に上演したが、近年になく多くの観客の皆さんが観劇してくれて、これは良い思い出として末長く残るだろうと思う。
 今年で最後となる吉祥寺シアターでの公演も、盛況であった。観劇後の観客アンケートには、これが最後でサビシイ、と多く記されていた。私も同じである。思えば、この12月恒例の吉祥寺公演は6年も続いた。いろいろと便宜を図ってくれた武蔵野市の好意には感謝である。
 吉祥寺シアターでの公演を終え、27日に利賀村に戻る。いつも思うことだが、サスガ利賀村、雪が降り積もっている。朝9時に東京駅を発ち、午後2時に到着、5時からボルカノで忘年会をした。翌日から三々五々と全劇団員が村を離れていった。毎年のことだが、新年は一人である。
 京都の寺、栂尾の高山寺は鄙びた風情と境内の静けさの故に、私はよく訪れるのだが、鎌倉時代に明恵上人が居たことで有名である。明恵上人は面白い歌を詠んでいる。あかあかやあかあかあかやあかあかや、あかあかあかやあかあかや月。過剰な気質の人間を感じさせる歌である。月の明るさはこれ以上には感嘆のしようがないと言わんばかりの強引な繰り返し。これからの利賀村は一面、しろしろしろやしろしろや雪になるが、それを青白く見せる月の光も見事なものである。明恵上人がこの月を見たら、なんと言うであろうか。やはり、あかあかやであろうか。
 この明恵上人、その行動も過剰・過激であった。どこまで本当にしてよいか分からないのだが、当時の僧が現世的な名声と利益に奔ることを嫌悪し、自ら右の耳を切り落とす。その理由は、五体満足の身体であれば、自分も同じように現世の名利を求めるかもしれない。身体を傷つけて他人から疎んじられる人間になれば、そのような心は起こらないというもの。
 自分の意志で、他の人たちとの違いを証しする差別を故意に創る、これは優れた芸術家が精神の領域で密かに実行してきた歴史的な事柄である。しかし、ワザワザ目に見えるような形で、身体的な差別化を実践するのは、他人に対する過激な想念が前提にないと、ナカナカ難しい行為である。
 山のはにわれも入りなむ月も入れ、夜な夜なごとにまた友とせむ。これも明恵上人の歌だが、コレハマタ、身を寄せやすい心境の歌である。秋の夜などには、私もこんな気分で月を眺めることはある。
 明恵上人は絶えず転々と深い山を求めて修行したという。私も利賀村の幾重にも折り重なる山に囲まれて、ワズカナガラ、明恵上人の心境が分かる年齢になったのかもしれない。
 来年の1月15日には再び、劇団員全員が利賀村に戻る。