BLOG
鈴木忠志 見たり・聴いたり
7月28日 人間の冬景色
人間には人それぞれに、なにか大切で重大なことがあるらしい。このことを人生の事実として受け入れ、それに驚きを持つこと、これを前提に演劇というものは成り立っている。と言うより、人それぞれの中に大切で重大な思いが密かに存在していることを発見し、それを社会的背景に関連づけて浮き上がらせること、これがギリシャの古代から現代にいたるまで、人類が演劇という表現行為のうちに託してきた期待である、と言った方がよいかもしれない。これまで戯曲として書き付けられ、舞台から語り継がれてきた言葉の群れは、その集積と見なすこともできる。実際のところ、世界的に上演され、有名になっている人物の殆どは、密かな思いを激しく抱いた人たち、犯罪者か狂人か詐欺師であり、なぜその人たちがそのようになっていったのかを、大切で重大な秘密を暴くように描いているのである。
医者という職業に従事しながら、多くの小説と戯曲を残したロシア人チェーホフは、ギリシャ悲劇やシェイクスピアの描いた人物たちより、身近に存在するように思える人間にも、激しく密かな思いが存在していることに驚いた方がよいと教えてくれた作家である。彼に「六号室」という作品がある。精神病院に閉じ込められ、またそこに関わる人たちの生態が、事細かに描写されている。その中に被害妄想狂の人物が登場するのだが、チェーホフは次のように書く。
「見るからに不仕合わせなその顔は、戦いとたえざる恐怖にさいなまれた魂を、鏡のように映し出している。なるほどその渋面は奇妙で病的だが、深い真摯な苦悩によって、顔にきざみ込まれたこまかい皺は、聡明で知的な感じを与え、その眼には、暖かい、すこやかな輝きがある」そして、その男の行動は、次のように診断される。
「彼はなにか非常に重大なことを話したいらしいのだが、誰ひとり聞いてもくれなければ、理解してもくれまいと考えるのであろう。もどかしそうに頭を振って、再び歩きつづける。しかしやがて、話したいという欲求が一切の考えに打ち勝って、彼はせきを切ったように激しく情熱的に話しだす。その話しはうわごとのようにとりとめがなくて、熱病的で、発作的で、時どきわけがわからなくなるが、その代わり、言葉にも声にも何か非常にすばらしい調子が感じられる。彼が話し出すと、彼の中に狂人と正気の人間がいるのがはっきりとわかる」
今年のSCOTサマー・シーズンの新作「津軽海峡冬景色」のシチュエーションは精神病院である。チェーホフの「六号室」の前記の文章に刺激されて創ったものである。むろん、世界は病院であるとして、殆どの舞台を創ってきた私である。マタマタ、全面的な車椅子の出演になってしまった。密かに託された狂気じみた大切な思いは、行動のバランスを支える車椅子に乗って展開する。彼らの主張音の多くはチェーホフに依っているが、舞台の背景を形作る心情の主調音は、日本の流行歌に表されるそれである。
「忍び寄るあの人の面影は、もう深い雪の中に埋もれてしまいました。北の海がかすんで見えます。おだやかさを失った、荒れる波をよけながら、かもめたちが鳴いています、今の私を知っているかのように。もう戻りません、久しぶりに見る、津軽海峡冬景色」
この歌の主人公は、上野発の夜行列車に乗り、雪の青森駅に降りる。そして、青函連絡船で北へ帰る。彼女は言う。北へ帰る人たちは誰も無口で、海鳴りの音だけを聴いていた、と。ここには無口な人たちの後ろ姿が、密かに生きられた情熱的な言葉を発していることが歌われている。その感じを、チェーホフの「六号室」の光景に重ねあわせてみた。
はたして上手くいったかどうか、観客の皆さんの、反応や如何に、の心境である。