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鈴木忠志見たり・聴いたり

2月22日 舞台演技のこと

 久しぶりに劇団員と一緒に映画「天井桟敷の人々」を見て刺激を受けた。内容もさることながら、映画であるにもかかわらず、フランスの伝統的な舞台表現の作法が、随所に見受けられ考えさせられたのである。
 この映画は1945年公開、ドイツ占領下で制作されたものだが、そんな状況の中で、よくこんな3時間もする大作を制作できたと驚く。関係者の尋常でない情熱が伝わるのである。劇場という社会的に特異な環境のなかで展開する人間関係が、これほどリアリティーをもって描かれた映画を他に知らない。
 この映画の主筋を引っ張る俳優がジャン=ルイ・バロー、私を初めてフランスに招待してくれた人である。1972年である。この時のことは以前のブログ<転回点>に書いた。
 現在の劇団員の殆どは、彼がどんな人物かを知らない。そこで、「天井桟敷の人々」を見ることになったのである。彼は1910年生まれだから、私が出会ったのはもう晩年といってよい。当時はフランス演劇界を代表する俳優、演出家の第一人者になっていて、この映画に見られるような、初々しく繊細な青年とは違っている。1994年に没するまでの10年間ぐらいは、しばしば会う機会があった。来日した時には、奥さんの女優、マドレーヌ・ルノーを伴って稽古を見に来たこともある。懐かしい思い出である。
 この映画を見ながら、あらためて思ったことがある。映画に登場する俳優たちが、実に良く訓練されていることである。この場合の訓練とは、舞台俳優としての訓練という意味だが、それが上手に画面に生かされている。言葉を話す時の姿と眼を見れば分かるのである。
 対象に対してしっかりと向かい合う場面では、日常的なニュアンスのある身体の表情が殺されている。眼光が鋭い。正面を切った時に、内面の表現がマッスグに届いてくる。呼吸のコントロールや重心の置き方への身体的な集中が、余分なものを消し、ナマな表情を伴わないようになっている。それだけ、目には見えない心の動きが、強く眼に表出されてくるのである。
 最近の日本の若い舞台俳優の身体の周囲の空気は、イツモ、ナマナマシク、揺れている。そのほうが身体からリアリティーが表出されていると言わんばかり。目線も定まらず、マバタキの連続だったりする。近ごろは歌舞伎の俳優たちの演技すら、ニタリ、ヨッタリ。言い方をかえれば、身体に日常的な表情が、無意識的に貼りついてくる演技なのである。
 私の考える舞台演技は、素材である石や木を彫って、それまで見えていなかった形を、少しずつ浮き上がらせていく彫刻的な作業に似ている。稽古は見える日常を削り落としていって、見えている日常の奥に存在する、非日常的な見えない心を、言葉に乗せて浮き彫りにすることである。
 この観点から導き出される作業仮説としての稽古がないと、演劇の舞台では、他人である作家の言葉、とりわけ文学的な表現の言葉、あるいは旧い時代の書き言葉などは、身体に取り憑いて生きてこない、言葉は現在ある俳優の日常的な身体の表情にまぶされ、退屈に死ぬのである。
 日常的な社会生活の状況をドキュメンタリー風に再現する現代映画の演技は、舞台演技とは異なって生成される。俳優個人の存在感と魅力が、ソノママ引き出されること、シチュエーションごとに身体の表情が素直に変化していくフレキシビリティーを感じさせること、これが大切である。当然のことながら、言葉は変化する身体の表情に寄り添って生き、流れていかなければならない。
 しかし、舞台俳優の身体は言葉を身近に寄り添わすわけではない。言葉は話されるのではなく、観客に語られるからである。言葉が見えない心の形として語られるためには、日常的な感覚を身体から一度、切断しなければならない。言葉は言葉それ自体で、語られ方のスタイルを身につけなければならない。そのためには、意識的に構成された身体=虚構の身体とでも言うべきものを、まえもって創造しておかなければならないのである。
 言葉と身体は一体化するのではなく、異質なもの同士の出会いとして共存する。演技はその共存から生まれる子供である。出会いとしての共存=結婚の仕方が上手くなければ、子供のデキも悪いのである。
 「天井桟敷の人々」を見ながら、時空を越えた舞台演技のあり方に想いを誘われた。これは、昔のフランスの演劇界の力量のためであろうか。それとも、日本の現代演劇の俳優たちの素人化によるものであろうか。ともかく、日本の現代演劇に欠如しつつある言葉と身体の出会わせ方、その理念と方法について改めて考えさせられた一夕であった。