BLOG

鈴木忠志見たり・聴いたり

4月30日 平成・最後の雪

 中国は北京の郊外、万里の長城の麓にある古北水鎮、そこで開催している演劇塾を終えて帰国。中国全土から選抜した40人ほどの俳優や演劇の教師に、私の演技の考え方と訓練の実際を教える教室である。今年で四回目になる。今回は生徒の質が良くて楽しかった。会期中、菅孝行、山村武善、西垣通、水野和夫、大澤真幸等の友人諸氏が来訪、様々な分野で優れた業績を上げてきた人たちである。ライトアップされた万里の長城の夜景を楽しみながら食事をする。料理もさることながら、会話も多方向に弾み、贅沢な夜を過ごした感じがした。
 もう日本も暖かくなったかと思いながら帰国したが、利賀村に到着して驚く。ナント、雪が降っているのである。新しい時代に転換するにあたって、<平成>に身につけた惰性の汚れにケジメをつけ、再びマッサラナ気持ちで明日に向かってタビダテ! 五木ひろしの歌う股旅演歌の歌詞ではないが、百里、千里を歩いても、歩くだけでは能がない、ましてやくざな仁義沙汰、広い世間を狭くして、どこに男の明日があるとばかりに、天が私を通俗気分の風呂にドップリ入れて、相変わらず意気がらせてくれているのだと、カッテナ、思い込み。コレモ、利賀村に来てから時折発症する、昭和育ちの私の病気の一種である。しかし、ヘンナ演歌である。どこに男の明日がある、とは。歩くだけが人生に決まっているのである。
 今夏はシアター・オリンピックス(ロシアと共催)のために世界中から演劇人がやって来る。世界中を百里、千里ではなく、万里の長城にまでも歩いた成果かもしれないが、こんなことの連続がこれからも私の明日だったりしたら、ツカレルナーと感慨にふけっていた最中に、ロシアのカウンターパートからトンデモナイ要請が届いた。
 ロシア外務省の次官と特別の外交任務に従事する無任所大使の二人、それに文化大臣を加えた三人に、シアター・オリンピックスの開幕式へ出席するための招待状を送ってくれというのである。シアター・オリンピックスは演劇人だけによって構想された芸術祭である。文化大臣はともかく、二人のロシア外務省の高官がなぜ出席するのか、今までの私の経験からは容易に理解しがたいことなので、この人物たちの経歴を調べて驚かされる。
 外務次官はプーチン大統領から特別代表に指名された日露平和条約交渉の実務担当者で対日強硬論者、「日本とは北方領土の対話はしない、領土問題は第二次世界大戦の結果、ロシア領になったことで70年前に解決済み」などと発言している人物なのであった。こういう人に招待状を送付せよとは、ロシア側に特別な考えがあると想像せざるを得ないのだが、また、日露共同開催で行われるシアター・オリンピックスに、ロシア政府がなんらかの積極的な意味付けをしていて、私のカウンターパートであるロシアのシアター・オリンピックス国際委員に要請した可能性もあると推測できないこともない。
 しかし、私はこれまで自国のみならず、どんな国の政府とも、直接的に仕事をしたことがない人間である。どんな立場で招待をするのか、政治的にはどんな関係が派生するのか、思いあぐねざるを得ない。
 むろん、こういう人たちがシアター・オリンピックスに興味をもってくれることは、シアター・オリンピックス設立の趣旨からして、まことに有り難いことには違いない。ただ、国家同士の政治戦略や一国家の文化的な対外宣伝の一端に巻き込まれることになるとしたら、疲れることだし、私の任をも越えている。
 平成最後の利賀村の雪は、見渡す限り薄く、山々にもきれいに積もった。演歌の文句にあるように、私は日本の中では広い世間を狭くして生きてきたようなところがある。しかし今更、日本で広く生きようと思ったりはしない。世界的には十分に広い世間を生きさせてもらったし、それなりの仁義を切ってきたと思えるからである。
 いつの間にか消えさっていく薄雪のような明日が、これからの私の人生が歩く、能がない道であるのかもしれないなどと思ったりしている。