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鈴木忠志見たり・聴いたり

5月21日 新ロックシアター登場

 シンガポールの国際演劇祭で「ディオニュソス」の公演をして一昨日に利賀に帰る。10年前に「エレクトラ」を上演、その時と比べると街の光景は美しく一変している。劇場も同じヴィクトリア・シアターだが、こちらも改装されて素晴らしいものになっていた。公演は優秀なプロデューサーと技術スタッフの力量で、作品の出来具合も満員の観客の評判も良く大成功。ただ、劇場内は冷房で冷やしすぎ、ホッカイロを多用して腰を温めないと座っていられない寒さ。外気温は連日30度を越えているから、出入りのたびに衣服を脱いだり着たりしなければならない。15度以上もある寒暖の差に、身体が対応しきれないで少し調子をこわした。
 利賀村には北京の国立劇場「国家大劇院」で開催される世界演劇祭、そのオープニングに上演する「リア王」の外国人俳優たちがすでに到着していた。上演の計画時には6カ国語での舞台だった。しかし、ドイツ人俳優の突然の逝去で5カ国語になり、リア王の役は急遽SCOTの竹森陽一が演じることに。稽古期間は2週間弱しかないから、シンガポール滞在中は心配で仕方なかったが、昨日から稽古を始めてみると、私の不在中に竹森が十分に稽古をしておいてくれたので、順調なすべりだしでホッとする。持続する集団の強みを改めて感じた。
 私の作品に第二次世界大戦を生き延びた男を主人公とした作品がある。「世界の果てからこんにちは」である。この舞台には二度ほどシンガポールという言葉が出てくる。一度目は開幕冒頭、主人公が語る数学者岡潔の文章から引用したものである。「私は数え年二十九の時、独りでシンガポールの渚に立った。そして突然何とも知れない懐かしさの情緒に襲われた。私は此の時以来日本民族と云うものの、現世を越えた実在を信じている」。
 もう一つはNHKのニュースの中で語られたもの。「シンガポール陥つ、英国東亜侵略の拠点シンガポール陥つ。東亜の空から全世界の空にシンガポール陥落のニュースが飛ぶ。SINGAPOR HAS FALLEN」1941年2月15日に放送された。
 もう20年ほど前になるか、私のトレーニングのクラスにシンガポールから若い女優が参加していた。彼女が2週間の訓練を終えて帰国する直前に言った言葉は忘れられない。「祖父からよく、日本軍は残虐だったと聞いていたから、初めての日本に少し、オビエがあったけれど、利賀にいる人たちは優しくて良かった。日本に親しみを感じました」。確かに、日本軍占領当時に、中国系住民と抗日運動家たち数千人を殺害したという日本政府の調査記録もあるという。
 シンガポールは多民族国家ながら、一党独裁国家に近く、管理社会化が過剰で厳しく、言論の自由もままならない非民主的国家として、多くの問題があるとも言われている。しかし、小国家とはいえ、経済と教育の面では世界有数の優れた国になっていることも事実で、見習うべきこともある。
 利賀村では今、既存の施設の改造中。その中でもっとも変化の激しいものはロックシアターである。岩石で囲われたこの小さな野外劇場は、これまで常設の観客席がなく、いつも仮設の客席だった。しかし、舞台の奥に階段が設えられているので、そこを拡張し常設の客席にするのが今回の改造計画。当然、今までとは反対の劇場構造になる。舞台の背後には広場が広がり、伸びやかで自由な演出が可能な劇場になり、演出家によっては意欲をそそられると思う。
 夏のシアター・オリンピックスには、ロシア、トルコ、メキシコ、日本の四劇団がこの新しい野外劇場で公演する。私も何か新しい作品を上演したい誘惑に捕らえられつつある。空間への挑戦、これは演出家の楽しみの一つ、利賀の芸術環境の進化変貌を絶えず手助けしてくれる人たちに感謝である。