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鈴木忠志見たり・聴いたり

9月17日 ボトル騒動

 私のボトルの中身がなくなっている。まだ二日分は残っていた。劇団員の一人一人に聞いても埒があかない。総会を開いて誰の行為かはっきりさせてくれ。若い劇団員が血相を変えて私に言う。これは厄介である。それだけではなく、うまく収めたとしても全員が疲れるのである。しかし、この疲れは好きになるより仕方がない。
 利賀村で活動を始めた頃、1976年か翌年のことで、もう30年以上も前のことである。私の劇団は東京を引き払い、利賀村の合掌造りの廃屋を改造して稽古場を兼ねる劇場にした。当然のことながら貧乏、30人の劇団員の夕食は食パン2枚とジャムの一瓶で、稽古終了後に客席にベニヤ板を敷き車座になって食べるのが常だった。このジャムの瓶にはそれぞれの名前が書かれ、一週間で食べきることになっていた。むろんその食べ方は各人の自由、これが冒頭のボトルである。
 演出家中島諒人の主宰する<鳥の劇場>で「お國と五平」の公演をした。小学校の体育館を手作りで改造した200人ほど収容できる劇場である。劇場のある鹿野町は市町村合併で現在は鳥取市になっているが、旧い町並みと日本らしい低い山並みに囲まれた美しい町で、鳥取駅から車で30分ほど。劇場の前は鹿野城址、お堀には白鳥と大きな鯉が泳いでいるのどかさである。
 公演終了後に学校のグラウンドで、中島諒人と対談をしている時、このボトル騒動を思い出して、私は笑いながら観客に話した。観客ものどかに笑っていた。
 演劇や社会事象への考え方感じ方において、私が共感し信頼もできる演劇人の一人である彼は、自分の作品の発表や、他劇団の作品を招聘する芸術活動以外にも様々な活動をしている。地域の人たちの会合で講演をしたり、小学生に演劇を教えたり、いろいろな職業の人たちの出会いの場を作るために、鳥取産の酒の魅力を味わう会を主催したりしている。地域で一集団のための劇場を維持し活動を持続するためには、この種類の活動も不可欠である。中島も劇団員もタイヘンだろうが、好きになる以外に方途はない。問題なのはこういう活動によって、集団作業である演劇の質を高める時間が少なくなったり、集団のフィクションへの集中力が衰えることである。これはリーダーである中島の能力と責任にもよるだろう。
 私は利賀村で活動した初期の頃、一冊の本を読みきる時間も集中力もなくしてしまったことがある。稽古もうまくいかず、有能な劇団員や観客のいくらかを失ったことは今でもつらく思い出す。二種類の集中力を上手に生きることができなかったのである。貧乏よりこの方が怖かった。これは、ジャーナリズムと補助金に依存して浮き沈みしている東京の演劇人には、経験できない貴重な恐怖であったと思う。
 芸術家中島諒人の健闘を祈らずにはいられない。