新・帰ってきた日本

SCOT ブログ

September,19,2014

9月19日 忘れ難い場面

 懐かしい言葉が飛び交っている。創生である。私にとっては、いささかの恥ずかしさの思い出をともなう言葉である。
 創生とは新しく創り出したり、生み出したりすることだが、日本創生、創生本部、地方創生、などと使われている。報道によれば、地方創生は安倍政権の成長戦略の目玉政策だとか。先頃、安倍首相を本部長とする「まち・ひと・しごと創生本部」という会合が、全閣僚が参加して開かれた。日本の将来の人口減少や地方の衰退に歯止めをかけようと発想されたものである。東京への人口の一極集中を是正したり、地方に若者の雇用創出の拠点を作ることなどが考えられているらしい。今さらの感を拭えないが、この問題意識自体は当然のことである。
 しかし政策的な入射角が少しでもずれると、むしろ創生という言葉の真意に相応しくないことが起こる可能性も大きい。創生の前提には、日本社会の変革目標や、肯定的なライフ・スタイルのイメージが、多くの人に共有されていなければならないと思うからである。
 創生、なぜこの言葉が私に恥ずかしく、乱発されるとウンザリする気分になるのかというと、私はこの言葉を目玉にした政府の政策に、ホンノ、ワズカながら、かつて関わった経験があるからである。それは竹下登首相が発案した政策「ふるさと創生事業」、もう25年も前のことである。
 この事業の目的は地域振興にあり、地方交付税の不交付団体である財政の豊かな自治体を除き、全国の市町村に使い道は問わないと、一億円を一律にバラマイタ。総額3,000億円。バブル経済ハナヤカなりし頃の気分に乗った、気楽で意表をつく政策だった。
 多くの自治体は新しい施設の建設をしたり、文化的な事業の基金にするなどにしたようだが、中には使い道に困り、純金製のカツオやコケシを作ったり、赤字ですぐに閉鎖されるような、村営のキャバレーを開設したりした。当然のことながら、これは国税のムダヅカイではないか、この方法では政策の目的である地域振興を実現することにはならないのではないか、という批判も出た。
 実際のところ、現在の日本の地方の現状を見れば、その通りであろう。この25年間に、地方は過疎化の一途をたどり、消滅寸前の山村は無数にある。逆に東京の人口は、私が利賀村へ来た当時からすると160万人も増えているのである。鳥取県の約3倍の人口増である。安倍政権が危機感を抱くのも分からないではない。
 この「ふるさと創生事業」が話題になっていたある日、自治省の役人から利賀村の自宅に突然の電話があった。竹下登首相が佐渡で講演をする。その前座として、文化の観点からの「ふるさと創生」の在り方について話せと言うのである。私はそれまで自治省の役人とも、いわんや政治家、しかも時の総理大臣と親しく接するなどということはなかった。これは何かの間違いではないか、私はその任に向いていないのではないか、と答えたのだが、文化庁に問い合わせたら、あなたが適任だと推薦されたと言う。
 当時の私は、東京への一極集中には批判的だったが、それは芸術創造の観点からのもので、東京が芸術の創造環境としては最悪だとする思いを実行に移すために利賀村に来たにすぎない。地域振興のために、過疎村に劇団の本拠を置いたわけではなかった。日本の地方の過疎の実態や財政的な自立性の欠如の実情に、社会的な視点からの興味をもっていたわけではないのである。むしろ、国際的な水準の知的な精神活動を維持するためには、人口の少ない孤立した山奥が適していると判断して、利賀村へ活動拠点を移動させたのである。
 むろん、過疎村で活動するのだから、村民の理解と応援をあおがなければならないことはある。それへの義理人情の気持ちから、公共事業の補助金獲得に協力はした。それが村民の生活環境を向上させ、人口の流出を食い止める過疎対策の手立てになるならと、村長と共に上級官庁に陳情に出かけたこともある。しかしだからといって、人口増やそれがもたらす経済効果だけが、地域の活性化をもたらすと、私は考えていたわけではない。
 芸術家はその活動によって人間精神の振興をしているので、例え人口が少なくても、経済的に貧しい地域であっても、そこに住んでいる人が、自分は価値のある生き方をしていると納得していて、イキイキしていればよい、という立場に立っている。その観点からすれば、当時の自治省の地域総合整備事業債による地方に文化会館などを建設する、いわゆる「ハコモノ行政」への補助金や、文化庁の予算の文化活動への配分の在り方には批判的だった。それらには、日本の知的精神文化の未来を想像し、創造しようとする精神上の理念が欠落していると感じていたからである。
 それでは何故、竹下首相の前座をつとめるために、新潟県の佐渡くんだりまで出かけたのか。そこが私の職業の特性、あるいは哀しさとでも言うべきか、政治家という人間に好奇心をもっていたからである。私の親族や親戚には、当時の大蔵省や通産省に勤めている人たちが居たから、役人の雰囲気とその集中力の特性は、それほど知らないわけではなかった。しかし政治家と時間を共にし、その人間的な特質を感受する機会はなかったのである。
 若かったが私も演出家の端くれ、人間理解の深さが作品の質を決する職業。そのためには自分とは違った世界を生きる専門家に、できるだけじかに触れることが大切だ、という信念があった。それでウカウカと、文化による「ふるさと創生」などという、大それた講演を引き受けてしまったのである。愚かにも、どんな人たちが聴衆なのかマルデ念頭になかった。
 私は司会者の紹介の後、大きな会場の中央に立って聴衆を見渡し、ガクゼンとした。会場は建設業界や農業団体の代表とおぼしき人たち、要するに新潟県選出の自民党の国会議員の後援会の幹部と、その人たちが動員したらしき年輩の人たちで一杯だったのである。若者の顔は殆どチラホラ。自民党田中派以来の公共事業の補助金や起債の恩恵を受けている人たちだったのである。
 その人たちに向かって私は、バカノヒトツオボエのように言ってしまった。人口も補助金も少なくてもよい、人間性の豊かな人たちが集団として結束して生きられれば、そこに文化は芽生え、魅力ある地域が出現する。東京から日本の文化が新しく生まれることはない。
 聴衆の多くは不思議な顔をしていた。むろん反応などあるわけもない。場違いという言葉があるが、まさにその雰囲気、私の足元にはつめたい風が吹いていた。私はそそくさと話を切り上げ、竹下首相の講演も聞かずに挨拶だけして会場を後にした。竹下首相は別れ際によく口にするらしい言葉、アリガトウを二度繰り返した。いくらその政策に疑問を抱いていたとはいえ、同席した一国の総理大臣の考え方も聞かずに退席したのは若気の至り、恥ずかしい行為だった。私の方が滅多にない経験をさせてもらって、アリガトウだったのである。
 今の私の心境だったら、政府や中央省庁は一億円などとケチなことは言わないで、どんな形ででも自由に使える多額の財源を、過疎と高齢化に直面している地域に配分しろ、人口増とそれによる経済的波及効果のためには、大都市に存在する大学の学生を一万人規模で、一、二年はそれらの地域の国立大学に強制的に送り込むぐらいの政策を実現しろ、などと乱暴なことを言ったかもしれない。当時の東京には毎年、20万人以上の大学の新入生が、全国から集まっていたのである。
 竹下首相が利賀村に奥さんを伴い、小渕恵三夫妻、綿貫民輔夫妻と一緒に来たのはその数年後である。むろんもう首相の座は退いている。野外劇場で花火を使った私の演出したショウとギリシャ悲劇を観劇した。両方とも通常の演劇の概念から懸け離れた舞台、劇場の出口で私を見るなり近づいて、マイッタ、マイッタの感想。私にはこういうのが、竹下言語の特徴と言われる、言語明瞭意味不明瞭の発言なのかと思ったものである。ホメラレタのかケナサレタのか分からないのである。
 翌日の朝、村長からの電話、竹下元首相が話したいと待っていると言う。朝食後から出発までの小一時間、二人だけで民宿の和室で話をした。というより元首相が一人で、なぜ首相を退いても一国会議員として活動しているのか、数字を交えて日本の現状を説明し、自分の心境を語っていた。
 私のような政治とはまったく無縁の一個人、それも初対面で礼を失した人間に、過疎村の民家で熱心に日本の現状について語る元首相を見ながら、私は初めて政治家という職業を生きる人間の、未だ知らなかった奇妙な情熱に出会った。不思議で忘れ難い場面の思い出である。 

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September,13,2014

9月13日 末路の様態

 SCOTサマー・シーズンが終わりに近づきつつある。今は16カ国28人の人たちが私の考え出した訓練をしているだけ。それも15日には終了する。SCOTは11月に北京で開催されるシアター・オリンピックスの「リア王」の稽古をしているが、それも20日からしばし中断し休暇に入り、10月の半ばに再開する。その時は「シラノ・ド・ベルジュラック」の稽古も同時に始まる。
 今年のサマー・シーズンの話題は何といっても、25年振りの「トロイアの女」の再演だが、私の心づもりでは新作である。初演は40年前、それとは大きく内容は変わっている。視覚的には初演と近似している部分があるから、過去の印象にこだわって、それとの比較で舞台に接する人もいる。そういう人は概して懐古趣味的、グローバリゼーション下での今回の舞台の演出的文脈を見落とす傾向にある。演出の視点を殊更に現代的にしたから、初演当時のエウリピデスの戯曲部分の扱いは違っている。
 今回の舞台では、大岡信が潤色したり、書き下ろした部分は全くカットしている。「トロイアの女」の部分の台詞は、完全に原典だけのものが使用されている。老婆がカサンドラに変身する場面の台詞などは、初演とはすべて異なっているし、初演の舞台のクライマックスとも言うべき場面、大岡信潤色のメネラオスとヘカベの対決場面は存在していない。その場面は、サミュエル・ベケットの言葉に代えている。
 非運にあった女性の怒りや恨みや悲しみが、全面に躍り出てくるのではなく、そういう個人の存在や心情すらも、小さくミジメに感じさせてしまう歴史的時間の非情さと、その渦中を生きる人間存在の哀しさに、演出的な焦点をあてている。だから、古代から変わらない戦争の暴力のすさまじさと、それに対抗できるはずだった宗教の無力、それらに対する個人の諦観が虚ろに響く舞台になっている。
 この演出的な視点は、完全な今回の新作「からたち日記由来」でも同じである。個人が主役として劇的に生きた心情も、社会的な関係と時間の推移によって、どのようなものに変形していくのか、その渦中を生きた人間のミジメサと哀しさが描かれている。それだけではなく、通俗音楽として一部の知識人に嫌悪されてきた歌謡曲が、なぜ女の不幸や願いを歌詞にして、歌われてきたのかを表出している。私にとっては歌謡曲ほど、空しく類型的でホホエミを誘う音楽もないのだが、それゆえにまた、決して無視できない貴重な存在なのである。その歌謡曲に思いを託す以外に行き場所のない人生、その狂いの様態を描いたのがこの舞台である。
 しかし、同じように、虚ろな人間の存在とミジメナ人間の境遇を描いたとはいえ、戦争によってすべての家族を失った不運な老婆と、世間の目から隠れて恋心に生きた女性に思いを託す老女の不幸の質は異なっている。一人はホームレスとして、一人は狂人として孤独に生きるが、世界中が戦乱の渦中にあり、人間関係の絆も崩壊しつつある時代に、この二つの対極に在るように見える人生の末路は、現在のわれわれにとっても、無縁なことではないと思っている。
 この二つの舞台は年末の12月、毎年恒例の吉祥寺シアターで上演する。休憩を挟んで一挙に、二つの舞台を上演しようと考えている。利賀村でそれぞれの舞台を単独で観る時とは、ずいぶんと違った印象になるのではないか。私自身もそれを楽しみにしているところがある。
 今夏も日本並びに世界各国から、昨年以上に多くの観客の方が利賀村を訪れてくれた。残り少ない人生だが、これ以上の励ましはない。感謝の気持ちで一杯である。 

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